ボランティア体験談
①ボランティアを体験をしようと思った理由はなんですか?
今まで高齢分野や障がい分野の現場を体験したことはありましたが、児童分野での体験があまりなかったため、実際に関わってみたいと考えたからです。
②ボランティア体験を通じて何を学べましたか?
子ども一人一人に合わせた環境の工夫や接し方の重要性を学ぶことができました。その一方で、「障害をもっている子」として関わるのではなく、子どもたちと友だちのように関わることで、子どもたちも、より安心する雰囲気づくりができるのだと学びました。
③学べると思っていて学べなかったことはありますか?
具体的にどのような障がいをもっていて、どのような配慮が必要なのか、気をつけて関わる点はあるかということについて、より深く学びたいと思いました。
④楽しかった遊び・勉強はなんですか?
外遊びで遊具で遊んだことが楽しかったです。のびのびと自由に遊んでいる子どもたちの様子を見ていて、自分も楽しいと感じました。
⑤ひまわりへ一言
場所の広さや時間の制約がある中で、配慮の必要な子どもたちが安心してすごせる居場所となるような環境づくりが細やかにされていて、子どもに寄りそったよい施設だと感じました。半日という短い時間でしたが、とても楽しく学ぶことができました。ありがとうございました。



合同会社ひだまりの法人活動理念
僕らはもう、十分に与えられているのです。情報も、人も、自分自身の才能も。それなのに「まだ足りない」と言って、すでに与えられたものを捨ててしまったり、生かすことができなかったりしています。本当は、すでに十分なのです。
大好きな映画を何度も繰り返し観る。気に入った場所に何度も行く。好きな音楽を何度も聞く。心惹かれる絵を何度も見て感動する。春夏秋冬の景色をただ眺める。これらすべては、すでに神様から与えられたものです。本来、追加の情報は必要ありません。蛇足なのです。なぜなら、一日の情報量は縄文時代の一生分より多いと言われています。
とにかく、私たちは「十分」なのです。気に入った歌をカセットがすり切れるまで聞けばよいのです。昔の人はもっと作品も、人も、自然も、大切にしていたはずです。家族がいて、友達がいて、仲間がいる。それだけで本来は十分なのです。
「足りない」とゾンビのように彷徨うこと自体がおかしいのです。足りないと思い続ける限り、目の前にある幸せを見失ってしまいます。すでに与えられたものを大切にできない人は、どれだけ手に入れても「足りない」と感じてしまいます。なぜなら、「足りない」という感覚そのものが幻想だからです。
すでに神様から与えられたモノを大切にする施設です。