日本の障害福祉を充実させるために、環境投資を各福祉事業所がしてほしい!
発達障害児が増え続け、それを支える福祉も爆発的に増えています。10年前に国の事業としてはじまった「放課後等デイサービス」は、いまやコンビニと同じくらいの数があるそうです。
放課後等デイサービスは小学1年生~高校3年生の障害のある子を預かる障害児の学童施設です。いままで、既存の学童で預かることが難しい子や一人で留守番することが難しい子が放課後等デイサービスに居場所ができました。
保護者も子どもを預けている間に働いたり、休息をとったり、子どもに教育をさせることができるようになりました。
国や自治体は、爆発的な保護者のニーズにこたえるように爆発的に放課後等デイサービスは増やしました。その副作用で必ずしも「質」が伴っていない福祉も多く存在し、「質」をあげることが課題になっています。
では、放課後等デイサービスの「質」とはなんでしょうか?勉強や運動を教えることでしょうか?子どもの放課後の居場所を作ることでしょうか?
それは一人一人異なったニーズがあると思っています。障害といってもいろいろです。また、放課後等デイサービスは、小学1年生~高校3年生の子を預かっています。当然、放課後の暮らし方もそれぞれ違っています。
一人一人の異なった過ごし方に対応できる環境を整える必要があるのです。しかし、放課後等デイサービスの設置基準が未整備のため、残念ながら計算された施設がまだまだすくないです。
ひまわりでは、利益のほとんどを環境整備に投資してきました。設置基準の約3倍の広さの部屋を用意し、スヌーズレンルームや箱庭療法室、動く部屋、静かな部屋、ハンモックや大型トランポリン、パソコンなど、いろいろな障害に対応できる環境整備に日々投資しています。
日本の障害福祉を充実させるために、環境投資を各福祉事業所がしてほしいと願っています。



合同会社ひだまりの法人活動理念
僕らはもう、十分に与えられているのです。情報も、人も、自分自身の才能も。それなのに「まだ足りない」と言って、すでに与えられたものを捨ててしまったり、生かすことができなかったりしています。本当は、すでに十分なのです。
大好きな映画を何度も繰り返し観る。気に入った場所に何度も行く。好きな音楽を何度も聞く。心惹かれる絵を何度も見て感動する。春夏秋冬の景色をただ眺める。これらすべては、すでに神様から与えられたものです。本来、追加の情報は必要ありません。蛇足なのです。なぜなら、一日の情報量は縄文時代の一生分より多いと言われています。
とにかく、私たちは「十分」なのです。気に入った歌をカセットがすり切れるまで聞けばよいのです。昔の人はもっと作品も、人も、自然も、大切にしていたはずです。家族がいて、友達がいて、仲間がいる。それだけで本来は十分なのです。
「足りない」とゾンビのように彷徨うこと自体がおかしいのです。足りないと思い続ける限り、目の前にある幸せを見失ってしまいます。すでに与えられたものを大切にできない人は、どれだけ手に入れても「足りない」と感じてしまいます。なぜなら、「足りない」という感覚そのものが幻想だからです。
すでに神様から与えられたモノを大切にする施設です。