スタッフブログ:海外ボランティアという「狂った」営みについて
僕は今、「海外ボランティア」あるいは「国際ボランティア」と呼ばれる分野の仕事をしている。まず、「ボランティアを仕事にしているって何??」と思うかも知れない。もっともである。ボランティアという言葉から連想されるのは、川辺でゴミ拾いをしたり、地域のイベントをお手伝いしたりすることだ。「海外ボランティア」と聞くとなんとなく、「貧しい」人のためになにか、マザーテレサ的なことをやっているのかなと想像するのだろうか。ほとんどの人にとって無縁な言葉であることは間違いない。
正確に言おう。僕は「海外ボランティア」というフィールド教育のプログラムを開催する団体を運営しており、その団体から給料を得ているNGO職員である。これでより伝わっただろうか。学生を中心とした若者にフィールド教育プログラムを行う傍ら、ネパールのスラムでアフタースクールを運営し、地域の暴力の撲滅のため日々励んでいる。そう聞くと「貧しい子どもを食い物にして、お前は給料をもらっているのか!」というまなざしが必ず飛んでくる。そう、そこなのだ。よくぞ言ってくれた。「そういう視線」こそ、僕の海外ボランティアへの飽くなき興味の出発点と言っていい。これは、僕がそんな狂った営みの真ん中に立つようになるまでの物語である。
18歳の夏、はじめて海外ボランティアに参加した。「参加費」は確か、15万ほど、チケット代は6万円ほどだった気がする。僕は居酒屋バイトで金を貯めた。本当にギリギリの金を握りしめてマレーシアへ飛び立った。実際、最初のボランティアではほぼ子どもと関わる機会はなく、自分が海外ボランティアというものに参加しているというよりも、自己啓発合宿のようなものに参加しているという感覚が強かったように思う。同じような志や、利他的な目的を持った人々に囲まれながら過ごす異国での生活が居心地良い分、自分が何かを成し得たとは思っていなかった。半年後、そのボランティアプログラムに再び参加することになるのだが、それも友人の誘いだった。夏に仲良くなった友人に
「俺4回生やから、次行くしかないねん。もう一回行くやんな?」
と言われて
「もちのろん」
と即答した。半年間、再び深夜までアルバイトを続けて「参加費」を貯めた。
20歳の夏、僕ははじめて海外ボランティアプログラムを運営する側の立場に立った。最初に参加した団体とは別の、自分が代表を務めていた学生団体の活動の一環として現地渡航を組むという形式だった。長いバスに揺られて、マニラから5時間ほど。大きな亀裂ががいくつも入った学校には、大量の子どもが通っていた。現地の子どもたちと一緒に料理をしたり、レクリエーションをしたり、踊ったりした。その学校の先生の家に泊まるホームステイでは美味しいカエル料理を出していただき、僕は残すことなく美味しくいただいた。再びマニラに戻り、立ち並ぶブランドショップやグローバルチェーンの店を「楽しんでいるメンバーの姿」を見て、僕はなんとも言えない気持ちを抱いていた。
海外ボランティアとは「余暇」なのか?学生の本分である学業の外にあるものなのだろうか。夏休みや春休みを利用していくもので、自分も楽しいし、それが人のためにもなって、さらに自分の「キャリア」にも繋がる。一見誰も損していないようにも見える。
少し、逸れた話をする。僕は何事も「構造」を考えるのが好きだ。例えば是枝作品として有名な映画『万引き家族』が好きだ。その「終わりゆく家族っぽさ」をつくりあげるための舞台設定が好きだ。『ジョジョの奇妙な冒険Part7 スティール・ボール・ラン』が好きだ。「下半身が動かない元天才ジョッキーが、馬に跨りながら数奇な運命に巻き込まれていく」という物語の構造が好きだ。例えば主人公とラスボスの一対一の戦いは、「1対1になるための舞台設定」が必要だ。だって、「合理的に」考えれば味方をかき集めて戦えば良いとなってしまう。そこに向かうための必然が好きなのだ。作品の「構造」を整理するのが癖になっている。物語のために「不自然ではない、むしろそれ以外の選択肢が思いつかないような」出来事や、ラストシーンに向かうための状況設定に「無理がない」状態が好きだ。
では、海外ボランティアはどんな構造をしているのだろうか。まず、「現地」がある。そこには「貧しさ」にまつわる無数のイメージがこびりついている。オーバーサイズで、汚れた服を着る子どもの姿。飢餓に飢え、苦しむ人々の姿。数々の大手非営利団体によって「宣伝」されてきた「途上国のイメージ」が投影される「現地」がある。
次に「参加者」がある。そこには「海外ボランティア」にまつわるいくつかの印象がこびりついる。「人のためにやっている」という利他的精神や、「弱者の救いになる」というヒロイズムがある。数々の胡散臭い半端者たちが煽ってきた「人助け」への理想がある。あるいは、ボランティアという活動に集まる者たちの思いやりの気持ちや、温かい雰囲気への想像がある。
その間に「仲介業者」がある。NPOやNGOなどが「海外ボランティアプログラム」を主催し、「現地」と「参加者」を繋ぐ。現地と参加者両方に顔を向け、両者の「ニーズ」を理解している。現地から見ればボランティアという「無償の労働力」を提供する装置であり、参加者から見れば「貴重な体験」を提供する装置となる。
僕は海外ボランティアというものに参加しながら、疑問に思っていたことがある。当時はここまで明瞭な言葉にはなっていなかったが、確かに感じた小さな疑問が僕をここまで突き動かしてきた。
「海外ボランティアって、善人の顔をした、かなりタチの悪い搾取なのでは?」
ひどく純粋にひねくれた若者の疑問だ。海外ボランティアは一見Win-Winに見える構図だが、両者の立場は平行ではない。「参加者」は高い金を払って、「特別な体験」を「購入」しているとも解釈できるのだ。僕は渦中にいながらも、海外ボランティアの体験それ自体よりも「海外ボランティア体験の表象の仕方と構造」に関心を持った。僕が仕込みから〆作業までの居酒屋労働を100時間以上したことで得た金銭が、「現地」に届いている感覚があまりにも薄かったことも背景にあるだろう。僕が19歳の頃はすでに「海外ボランティアは偽善か?」みたいな議論は錆びついていて、もはや「よくあるやつね」で流すくらいになっていた。僕は行為の意味よりも、構造が気になるのだ。
しかし、対岸の火事と放っておくことはできなかった。僕は自分をその疑問の渦中において、内側から乗り越えることを決めた。僕に海外ボランティアの扉を開いてくれた数多くの先輩達は、決して「悪い人」ではなかった。悪意を持って他者を陥れようとか、支配しようとかすることで快楽を得るような人ではなかった。彼らは「構造」の内側にいた。「現地」を商品化し、プロデュースし、宣伝し、「お客様」の期待に応えるべく、「ツアー」を組む。ツアーということは、つまり「見物しに」行くことを強く想起させる。「学びたい」という一見社会から認められたような「綺麗な」動機も、その対象が「人間の貧しさ」だったら話は変わってくる。無知なる善人をスポンサーに変え、スポンサーのご機嫌取りで続くような「海外ボランティア」の構造を変えたいと思った。
陳腐な正義感に囚われた僕はネパールでまた二重の衝撃と、構造への関心に惹かれていくことになる。ネパールでは当たり前に「volunteer fee」という言葉が存在する。カトマンズの孤児院に行くと大概「volunteer feeを払ってくれれば、受け入れが可能」と言われる。僕はずっと、仲介業者ばかりが大きな権威を持って「現地」を商品化するのだと思っていた。しかしネパールの孤児院ビジネスを運営する「社長」たちは、自らの声を持って、自らの国に投影されるイメージを商品化しているのだ。二重にこんがらがった僕は「volunteer fee」という言葉に強烈な嫌悪感を感じながらも、それを「やっちゃう」思い切りの良さと真正面な感じに打たれて膝をついた。つまるところ、仲介業者が1人増えただけなのだ。仲介業者の特権の上で、ネパールのビジネスマンがローカルの知恵を活かしているに過ぎないのだ。
ここで言う「参加費」とはなんだろうか。なんのために支払う金なのだろうか。「現地のための」寄付する金なのか、「自分のための」経験を買うための商品の値段なのか、あるいはその他の旅行的要素に支払われるものなのだろうか。僕は、いずれの支払いでも前景化するのは「不誠実」な支払いだと思う。個人的な感情として、それは運営者である「僕」が産んでいるものではないからだ。「貧しさ」というイメージも、「現地」の存在も、参加者の「体験」も、「他のもの」と差異化できるほど際立っているものではない。そして「現地」を知るためだけに来る「旅行客」の姿は、消費される子ども達にとって非常に悪影響だ。イメージを介した「善なる人身売買」に加担したくない。
そこで僕は、フィールド教育として手法を確立することを望んだ。そこに客観的な正義や背景があるのではなく、僕の「意志」がそうすることを選んだのだ。自ら飛び込んだ「商品化」と「搾取」の渦の中で、僕自身の意志と責任によって選び取った方向性であることが重要なんだ。僕はただ、納得してこの業界にいたいだけなのかもしれない。ただ頭の真ん中から、構造に納得したいのだ。フィールド教育とは、机上、あるいは集団学校教育、ペーパーテストに合わせた暗記学習やパターン理解では学べない「知恵」を学ぶための教育だ。「知識」よりも、情報を有機的に繋ぎ合わせて、自分の言葉で語ることを重視する教育の形だ。
みなまで言うな。その教育の「教材」として子どもを利用していたら、それはお前の言う「善なる搾取」に他ならないのでは?と言うことだろう。僕たちのつくるフィールド教育の場での「教材」は子ども達の姿でも、現地というショックでもない。「先入観」と「海外ボランティアの構造そのもの」、そして「反省」が教材だ。己自身の中で構築されたイメージと、「善なる搾取」を生みやすい構造自体を、現地で伝える。ボランティアプログラムに参加したメンバーは途端に、「行き場を失う」。自分の目的も動機も、イメージも、僕自身が学生時代に抱えていた葛藤、あるいは海外ボランティアプログラム催行業者が位置する業界の構造を「自白」することにより行き場を失う。その「行き場のなさ」が強烈な教材となるのだ。「あなた達を善なるスポンサーとして、子ども達を無知なる商品として、利用できてしまう構造がある。知らず知らずのうちに、搾取構図に加担させてしまう構造がある」という運営者側からの「自白」が重要なのだ。
蚊帳の外にいる人間の野次でも批判でもなく、渦中にいる人間からの「自白」だから意味がある。それが僕にとって誠実な在り方で、納得をつくるための方法なんだ。
「海外ボランティアというあり方は、現地を消費して搾取的な構図になることが多い。君たちはその一端にいる。ロールモデルは少ない。君なりに、どうやって納得していくんだい?」と問う。この構造自体を使え。自分を悩ませてきた構造からズレていく力は、構造の中にいる人々の葛藤から生まれていくと思う。
最初の「きっかけ」はもやは重要じゃない。「そのために始めた」と「結果的に何につながったのか」は全然違うことなのだ。さらに言えば「渡航前に語られる動機」と「渡航後に語られる動機」は全く異なるものだ。海外ボランティアの体験全てを物語の筋にして、事後的に「このために始めた」と思うことで、散文的な体験がまとまる。
ずいぶん、遠回りをしてきた。その先で、ずいぶん遠回しなことをやっている。構造とか搾取とか、気にならない人にとっては、とても小さな、つまらないことをやっていると思う。でも、「内側にいる」という「選択の意志」を持ってよかったなと心底思う。「学生時代に参加したけど、あれって別の形の搾取だよな」と届かない愚痴を吐くよりも、内側にいながら悶々と悩んでいる方が、自分の人生に対して誠実だと思える。そして僕自身が、その生き方に「納得」できる。
まだきらりと輝く最高のアンサーは出てこない。だからまだ、全身全霊で悩めるぞ。
活動に参加してみませんか?



海外ボランティアのHĀWĀの法人活動理念
HĀWĀは、ネパールのスラムでアフタースクールを運営しています。
スラムで授業をしたり、孤児院でダンスをしたり、様々な活動をしています。
ボランティアに参加するメンバーの動機は千差万別で、「友達をつくりにきた」「不甲斐ない自分を変えにきた」「世界を広げにきた」「子どもに会いにきた」などです。
しかし、その活動はいつだって、「誰かのために」。授業を考えるのも、遊びを考えるのも、屋根の穴を直すのも全部、自分以外の人のためになることです。
コスパ、タイパが叫ばれて、皆が自分のことばかり考える時代です。そんな今だからこそ、
人のためにやってみよう、自分のために生きたいから。