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2025/08/08

えんぎ塾が向き合う課題、現状と解決策ぽいことを。

当団体ではactivoという「ボランティアを募集している団体」と「ボランティアをしたい人」を繋げるサービスを利用しています。

activo団体登録の項目に「どんな社会課題を解決したいのか?」というものがありました。付随して、その課題の現状と考えられる原因、解決策が記載できるようになっています。

ということで、その辺のことについて書いてみます。僕も頭の中がバラバラしているので、整理になることを期待して!

HPにはつらつらと書いていますが、僕がえんぎ塾を始めたのは、自分の生い立ち故に、それが原体験になっているからです。しかし、原体験と無料塾が結びついたのは、僕の人生テーマに「世界から貧困をなくす」を据えたことから始まりました。それからといもの、見るもの、聞くもの、触れるもの、感じるものすべてがそのテーマに沿うように、僕の頭の中で勝手に編集されていくようになりました。そうして、えんぎ塾に繋がっています。

貧困とえんぎ塾の繋がりはちょっと遠いかもしれませんね。もしくは、直感的に理解いただける方もいらっしゃるように思います。こういう時は限りなくシンプルに考えてみましょう。すると、例えば「貧困ー生活苦ー所得(お金)ー仕事ー教育」という一つの関連は考えられそうですよね。

もちろん、このケースでも教育よりもっと根本的な原因はあると思います。ただ、やはり一定の生活を送るために、最低限の教育を受け、最低限の知識を身に纏うことは、競争という概念が広く深く蔓延る現代日本社会においては大切なことのように感じます。

では、貧困をなくすために教育に焦点を当てることにしましょう。教育の何が問題なのでしょうか。例えば、学校の授業についていけなかったり、その分をフォローしたくてもできなかったり、だから塾に行きたくてもお金がなくて行けなかったり、そもそも学校へ行けてなくて授業から遠ざかっていたり。勉強をする気持ちが湧いてこなかったり、通塾しているけど、形だけの通塾で一切勉強していなかったり。これらやこれらから生まれる諸現象を「教育格差」と、僕らは読んでいるのではないでしょうか。

ところで、僕の愛読書にカール・マルクス『資本論』という歴史書があります。何か1冊をお勧めするなら、迷わず資本論を推薦するほどに読んでいます。

資本論を読むと「なぜ教育格差が広がっているのか」という壮大な問いのヒントが得られます。それは、教育が商品化されているからです。つまり、知の伝達がお金を介してやり取りするものになってしまっている、ということです。ですから、教育で「損得」という判断基準が何よりも優先されるようになってきます。「投資対効果」というものもですね。生活をしていくのに必要な最低限の教育を受けることでさえ、お金がたいそうなウェイトを占めるようになってきています。より良いお給料がもらえる仕事のために、より良い大学へ、より良い高校へ、より良い中学へ、より良い塾へということになると、それだけお金が必要になってきます。あくまでも一つの味方ですが、今の日本社会にこのような側面は十分にあるように思えます。

ですから、教育とお金を引き離して学べる環境が必要だと考えています。そうした場を増やしていくことが、教育格差を小さくしていく一つの解決策であると考えています。お金のやり取りがなく学べる場所、もっと言うと学びをプレゼントし、それを安心して受け取れる場所をたくさん作っていきたいと思います。それがきっと世界から貧困をなくす一つのきっかけになると想いながら。

書き手:理事長

えんぎ塾とは、どんな状況でも”学びたい”という子どもたちの気持ちを応援する、地域の無料個別学習塾です。
対象は小・中学生をメインに、ボランティア講師が授業を行っています。

現在は西多摩地域を中心に展開していますが、今後は都内だけでなく、山梨県、神奈川県にも増やしたいと考えています。

「教室として場所を貸しても良いよ!」「塾生候補がいるよ!」「うちの子を通わせたいよ!「ボランティア講師に興味がある!」という方がいましたら、直ぐにご連絡をお願いいたします!

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えんぎ塾(無料塾)@羽村/青梅/瑞穂/あきる野

えんぎ塾(無料塾)@羽村/青梅/瑞穂/あきる野の法人活動理念

子どものまなび、地域のちから

かつて、ある男の子が山梨の小さな町の"寺子屋"で、数字遊びをしたり、「ありがとう」や「ごめんなさい」の意味を学んだりしました。
その子は、温泉街の片隅で暮らす、若い両親のもとに生まれました。
生活は決して豊かではなかったけれど、そこには人がいて、言葉があり、まなびがありました。

その時間が、彼の背骨になりました。

今、その子は大人になり、「えんぎ塾」という場所を作りました。
えんぎ塾には、勉強を「教える人」と「教わる人」はいません。
ただ、一緒に学ぶ人たちがいるだけです。

子どもが宿題をひらくと、
隣の講師がそっと「どう思う?」と問いかける。
考える力が生まれる。
わからない時は、学年をさかのぼって、最初からやり直す。
それは、遠回りではなく、"その子のスピードで進む"ということ。

この塾には、お金のやりとりはありません。
代わりに、「まなび」があり、「まなびの中に生まれる縁(えにし)」があります。

"縁起(えんぎ)"とは、すべてが関係し合って生まれるという仏教の考え方。
だからこそ、えんぎ塾では誰もひとりじゃない。
教室の机の配置も、言葉のかけ方も、「ひとりにしない」ように工夫されています。

この場所では、子どもがまなび、
まなびが人をつなぎ、
つながりが地域を育てる。

誰かに教わったことを、いつか誰かに渡す日が来る。
その循環の中で、生まれるまなびは、教科書には載っていないけれど、
きっと一生の糧になる。

えんぎ塾が目指すのは、学力の向上だけではありません。
"自分を肯定できるまなび"
"誰かと共にいるちから"
"地域と共に生きていく物語"を、子どもたちが自ら紡げるようになることです。

子どものまなびは、地域のちからになる。
そして、地域のちからが、また子どもを支える。

えんぎ塾は、その小さな循環の、はじまりです。