設立背景、そして塾名の由来
羽村えんぎ塾の設立背景
羽村えんぎ塾での学びを活かして、みんなが想い描く人生を歩んでほしい
代表である僕は1993年、今の山梨県笛吹市で生まれました。
当時、母は14歳、父は16歳。
年子の弟が生まれ、以後は片親家庭で育ちました。
小学生になるまでの数年間は、今の石和温泉がある一角に僕と同じような家庭環境にある親子が集まり、一時的な生活を共にする『寺子屋』で時間を過ごしていました。
もちろん、お金は必要ありませんでした。
そこでは、同世代の子どもたちや大人との関わり方を、簡単な数字遊びを、文字の読み書きを、自転車や竹馬の乗り方を、「ありがとう」や「ごめんなさい」の伝え方を、、、他にもたくさんのことを学びました。
それらは、いま、僕が毎日を精一杯過ごすために必要な時間だったと、自信をもって公言できます。
僕が貰った寺子屋での時間と同じような体験を、羽村えんぎ塾を通して提供したい。
そうして、羽村えんぎ塾で学んだ子どもたちが、その学びを活かして、それぞれが想い描く人生を歩んでほしい。
そのような想いで羽村えんぎ塾を設立しました。
”えんぎ塾”の由来
”えんぎ”とは”縁起”
縁起とは、仏教の根本を成している考え方です。
少し難しい表現になりますが、これは「万物が互いに『縁りて起こる』という関係性にあり、単独で生起する現象はない」という世界観です。
つまり、世の中にある全ての物事は、お互いに関連し、依存している。そうして、生まれ、存在するということです。
ですから、縁起は物事の個別性より、関係性を重視している考え方と言えます。
羽村えんぎ塾で学んだ子どもたちが、その学びを活かして、それぞれが想い描く人生を歩んでほしい。
そして、いつかはボランティア講師として、子どもたちにこれまでの学びを伝えてほしい。
全ては関連し、依存しあっているのだから。
このような意味を込めて”えんぎ”塾と名付けました。
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羽村えんぎ塾(無料塾)の法人活動理念
子どものまなび、地域のちから
かつて、ある男の子が山梨の小さな町の"寺子屋"で、数字遊びをしたり、「ありがとう」や「ごめんなさい」の意味を学んだりしました。
その子は、温泉街の片隅で暮らす、若い両親のもとに生まれました。
生活は決して豊かではなかったけれど、そこには人がいて、言葉があり、まなびがありました。
その時間が、彼の背骨になりました。
今、その子は大人になり、「羽村えんぎ塾」という場所を作りました。
えんぎ塾には、勉強を「教える人」と「教わる人」はいません。
ただ、一緒に学ぶ人たちがいるだけです。
子どもが宿題をひらくと、
隣の講師がそっと「どう思う?」と問いかける。
考える力が生まれる。
わからない時は、学年をさかのぼって、最初からやり直す。
それは、遠回りではなく、"その子のスピードで進む"ということ。
この塾には、お金のやりとりはありません。
代わりに、「まなび」があり、「まなびの中に生まれる縁(えにし)」があります。
"縁起(えんぎ)"とは、すべてが関係し合って生まれるという仏教の考え方。
だからこそ、えんぎ塾では誰もひとりじゃない。
教室の机の配置も、言葉のかけ方も、「ひとりにしない」ように工夫されています。
この場所では、子どもがまなび、
まなびが人をつなぎ、
つながりが地域を育てる。
誰かに教わったことを、いつか誰かに渡す日が来る。
その循環の中で、生まれるまなびは、教科書には載っていないけれど、
きっと一生の糧になる。
羽村えんぎ塾が目指すのは、学力の向上だけではありません。
"自分を肯定できるまなび"
"誰かと共にいるちから"
"地域と共に生きていく物語"を、子どもたちが自ら紡げるようになることです。
子どものまなびは、地域のちからになる。
そして、地域のちからが、また子どもを支える。
羽村えんぎ塾は、その小さな循環の、はじまりです。