認定NPO法人プレーパークせたがや
子どもの屋外の遊び場「プレーパーク」を世田谷区で40年以上運営しているNPO法人です。
子どもは遊ぶことで、他人とのコミュニケーション能力、危険から自分で身を守る力、自分が実現したことに試行錯誤する発想力など、成長に欠かせない力を磨きます。
ただ、制約の多い公園や、過度な学業優先思考などで子ども自身が「育とう」とする機会を大人が奪ってはいないでしょうか。
私どものプレーパークは、制約をできだけなくし、子どもがやりたいことにとことん挑戦できる遊び場を目指しています。
1975年の活動開始当初から「地域住民が運営するスタイル」を続けています。地域の大人が子ども達のために一丸となって子どもの育ちを見守る。子どもの保護者に限らず、お年寄り・プレーパークで育った若者なども集う地域コミュニティの場です。
世田谷区内4つの「プレーパーク」の他に、区内に遊び場を出前する「プレーカー事業」、乳幼児の外遊びを応援する「そらまめハウス事業」、思春期の子や親を支援する「思春期事業」などを展開しています。
1979年07月
地域住民によって、1975・76年に烏山川緑道の一角で『経堂子ども天国』を、77年には『桜丘冒険遊び場』を開設・運営。それらの遊び場の実績をふまえ、世田谷区は国際児童年の記念事業として冒険遊び場の採択、地域住民とともに羽根木プレーパークを開設。当初は期間限定だったが、翌80年に事業継続を決定。専任のプレーワーカーを配置し、日本で初めての常設のプレーパークが誕生した。
1982年06月
世田谷区は、羽根木プレーパークのさまざまな実績をふまえて、プレーパークの増設を決定。地域住民とともに、世田谷公園の一角に、世田谷プレーパークを開設した。
1989年
「自分たちの地域にも自由な遊び場を」と住民が願い、私有地を借りて85年に活動を始めた。その活動を89年に世田谷区が事業化。3番目の常設のプレーパークとして、新たなスタートを切った。
2003年
95年、学習会などを重ねた住民は「4番目のプレーパーク」を目指し、場所を探しながら活動を続けてきたが2003年に世田谷区が土地を確保。プレーパーク事業としてスタートした。
2005年02月
これまでプレーパークの運営に携わってきたそれぞれの住民グループが、新たにNPO法人を設立した。4つのプレーパークの運営を同法人が一括して世田谷区から委託する。区と住民の協働は、新たなステージに移行した。
2017年12月
東京都より、『認定NPO法人』の認証を受けました。
団体名 |
認定NPO法人プレーパークせたがや |
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法人格 |
認定NPO法人 |
HPのURL | https://playpark.jp/ |
代表者 |
登坂真人 |
設立年 |
2005年 |
Twitterアカウント | playpark_stgy |
FacebookページのURL | https://www.facebook.com/Playpark.Setagaya |
職員数 |
12 |