<想いブログ>2つ目となる青梅友田教室を開きました
えんぎ塾2つ目となる青梅友田教室を開きました。
きっかけは、うちの塾生の存在です。彼は自転車で羽村教室まで通っていて、毎回20分ほどチャリ走をしています。ある日は用事のため欠席だと彼から聞いていました。しかし、突然現れた彼の口から「来たいから来ました!」と、汗とともに放たれた言葉は、みんなの心に響いたはずです。
僕が彼の立場であれば、教室は近い方が嬉しいです。確かに、自転車で20分は遠いと思っていました。
旧約聖書には、以下のように書いてあります。
「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」(マタイ6.12)
「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」(ルカ6.31)
(ちなみに、僕はキリスト教を信仰はしていません。しかし、世界宗教としてのキリスト教に強い興味はあります)
1人いるんだから、きっと他にも学びたいって子どもは沢山いるだろう。このように想い、しかして、青梅友田教室を開くことにしました。
蓋を開けてみれば、羽村教室の子どもたちで青梅友田教室に通う子どもがいます。結局、子どもたちにとっての学べる時間と場所が増えたわけです。良いこと尽くめです。
どんな状況でも”学びたい”という気持ちを強く持つ子どもはいます。
そんな子どもたちへ、参加のきっかけをどう作っていけるか、これが僕らの役目です。
参加した子どもたちが学習しやすい環境をどう作っていけるか、これも僕らの役目です。
青梅友田教室は毎回、ご飯も提供していきます。
地元の子ども食堂さんのご厚意です。感謝に堪えません。
このように、今後も小さなきっかけがあれば、新教室を開いていきます。えんぎ塾の人と時間がある限り。
お金は殆どかかりませんので。
そうして、子どもたちが学びを謳歌し、描きたいように人生を描き、将来はボランティア講師として、地元の子どもたちと共に考え、共に悩み、そして育ち合う「地域の未来を育てる学びのつなぎ手」 になってくれることを願っています。
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羽村えんぎ塾(無料塾)の法人活動理念
子どものまなび、地域のちから
かつて、ある男の子が山梨の小さな町の"寺子屋"で、数字遊びをしたり、「ありがとう」や「ごめんなさい」の意味を学んだりしました。
その子は、温泉街の片隅で暮らす、若い両親のもとに生まれました。
生活は決して豊かではなかったけれど、そこには人がいて、言葉があり、まなびがありました。
その時間が、彼の背骨になりました。
今、その子は大人になり、「羽村えんぎ塾」という場所を作りました。
えんぎ塾には、勉強を「教える人」と「教わる人」はいません。
ただ、一緒に学ぶ人たちがいるだけです。
子どもが宿題をひらくと、
隣の講師がそっと「どう思う?」と問いかける。
考える力が生まれる。
わからない時は、学年をさかのぼって、最初からやり直す。
それは、遠回りではなく、"その子のスピードで進む"ということ。
この塾には、お金のやりとりはありません。
代わりに、「まなび」があり、「まなびの中に生まれる縁(えにし)」があります。
"縁起(えんぎ)"とは、すべてが関係し合って生まれるという仏教の考え方。
だからこそ、えんぎ塾では誰もひとりじゃない。
教室の机の配置も、言葉のかけ方も、「ひとりにしない」ように工夫されています。
この場所では、子どもがまなび、
まなびが人をつなぎ、
つながりが地域を育てる。
誰かに教わったことを、いつか誰かに渡す日が来る。
その循環の中で、生まれるまなびは、教科書には載っていないけれど、
きっと一生の糧になる。
羽村えんぎ塾が目指すのは、学力の向上だけではありません。
"自分を肯定できるまなび"
"誰かと共にいるちから"
"地域と共に生きていく物語"を、子どもたちが自ら紡げるようになることです。
子どものまなびは、地域のちからになる。
そして、地域のちからが、また子どもを支える。
羽村えんぎ塾は、その小さな循環の、はじまりです。