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2021/04/27

代表である平井がCLACKを立ち上げたワケ(後編)

前回のあらすじ

お金のない状態から脱出するには偏差値の高い大学にいくしかないと思っていた高校生の平井。頼みの綱の勉強でさえ思い通りにいかず、学歴にとらわれていた当時の僕はどう変わっていくのでしょうか。後半では、大学進学から立ち上げに至るまでを書いていきます。

大学編スタート

志望校には行けなかったものの、なんとか大阪府立大学という公立大学に進学し、給付型の奨学金や学費免除を受けることができました。
高校時代よりはお金に少し余裕が出来たこともあり、それなら勉強以外でもいろいろやってみようと考え、以下の2つの軸で動いていました。

①中学・高校時代はお金が理由で多くのことを我慢してきたし、ワクワクすることは何でもやってみよう。
②自分と同じような境遇の子どもに対して自分にできることをやっていこう

大学時代に取り組んだ様々なこと

まずは、①の大学時代に取り組んだことのうち、いくつかを紹介していきます。

体育会の日本拳法部
日本拳法は自衛隊の徒手格闘でも導入されている防具をつけた総合格闘技系の競技です。格闘技を見るのが好きだったのと強くなって自信をつけたいという考えから入部し3年間続けました。

どれだけ強くなれたからはわかりませんが、街を歩いている明らかにやばそうな人を見分けて避けれるようにはなりました。

日本拳法

読書
目的を持たずに様々なジャンルの本を読みまくるということをしていました。
「採用基準」といったビジネス書から「カラマーゾフの兄弟」といった長編古典小説まで幅広く年間50冊以上は読んでいました。

ヒッチハイク
チェゲバラのモーターサイクルダイアリーズに影響を受け、日本でヒッチハイクをしたりもしました。この時にどうやったら車が止まってくれるか試行錯誤した経験は、今飛び込み営業をする際に役立っています。

ヒッチハイク

バックパッカー
深夜特急にあこがれ、タイやベトナム、ミャンマーと言った東南アジアを中心に貧乏旅行を楽しみました。観光地を回ることよりも現地の文化に触れるのが好きでした。ちなみに最近新しくCLACKに加わったメンバーと出会ったのもタイです。

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ベトナムの空港で仲良くなった、ヨーヨーの世界チャンピオンやタイ人の英語教師のおばちゃん。今でも、「コロナ大変だけどだいじょうぶ?」と連絡をくれたりします。

インターン
大学2年生の2月に、仲良かった高校のときの友達に「東京の宿泊費も出て、1日1万円もらえるインターンがある」と聞いて、「面白そうだしバイトの代わりになるかな」と思って参加したのが、ワークスアプリケーションズのインターンでした。

1ヶ月近く続いたハードな内容で全力を尽くしましたが、満足のいく結果は残せませんでした。しかし、このとき初めて頭脳労働でお金を稼ぐということの面白さを知りました。

そこから「もっといろんなことを知りたい、経験してみたい」と考え、いろんなインターンに参加するようになりました。

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リクルートのインターンで優勝したときに、銀座のバーを貸し切ってシャンパンタワーをやらせてもらったときの写真。漂うバブル感。

この時にいろんな会社を見たり、ビジネスサイドを見れたことは今でもかなり役立っています。

その他

奇食、ミスコン団体での営業、サークル立ち上げ、瞑想修行、十個以上のアルバイトなどなどたくさんのことをやってきました。

ワニ

ワニの手を食べる平井


こうして様々な経験をしていき、多様な人と出会って「世の中意外と悪くないな。これまで勉強にとらわれていたけど、生き方も働き方も選択肢はいっぱいあるのか」ということを言葉ではなく、心で理解できるようになりました。

NPOとの出会い


そして他の様々な活動と同時に、僕が大学生活で最も長く取り組んだことは、大学1年生の4月からやっていた生活困窮家庭の子どもの支援を行う「NPO法人あっとすくーる」での活動でした。

この活動をきっかけに、僕は子どもの貧困という大きな社会問題に「出会って」しまったのです。

始まりはネット検索でした。たまたま、代表の渡さんの記事を見つけ、似た境遇の人だなと思い、話を聞きにいきました。「自分と同じような境遇の子に対し、今の自分でもできることがあるのか!」と、僕はそのとき初めて気づきました。

とりあえずやってみよう、の精神で、週1回、ひとり親家庭の中学生に学習支援の講師として活動を開始しました。最初は無理のない範囲で関わってみるか、という感じでした。

しかし、そこで1つ誤算がありました。
毎回授業終わりに、その日の生徒の勉強の進捗や気になった言動についての振り返りを行うのですが、そこでの振り返りが僕の想像以上に”ガチ”だったのです。

厳しい状況に置かれている子どもがどうすれば前向きな進路選択をしていけるかについて、大学生の先輩や職員の方が本気で考え、実行していく姿に最初は軽い気持ちで関わっていた僕も次第に感化されていきました。

「自分自身まだ貧困から抜け出せたわけではない。余裕ができてからやるのではなく、”今”自分も渦中にいるからこそアクションを起こすことが重要なのではないか。そうすることで周りや世の中の雰囲気も変わるかもしれない」
と考えるようになり、活動に費やす時間はどんどん増えていきました。

自分の無知と想像力の無さを実感

数十名の生活保護家庭や不登校、ひとり親家庭の子どもと継続的に関わっていきました。活動しているうちに、一口にひとり親家庭、生活困窮家庭といってもその困難さは全然ひとくくりにはできない。

中には、この状態じゃ自分の将来に希望を持つなんてとてもじゃないができないなと思うような子どもが何人もいました。

例えば、
・母親が離婚を繰り返し精神的にも不安定であるため、幼い兄弟の面倒をみる必要があり勉強どころではない生活保護家庭の中学生。
・先天性の糖尿病が原因で入院を繰り返し、学校を休みがちになることでいじめられ、不登校になってしまった高校生。
・外国籍の母子家庭で母が日本語が得意でないため、必要な支援を十分に活用できず進学の選択肢が極端に狭い中学生。

こうした子ども達と関わっていく中で、次のようなことを痛感しました。
「これまで自分は”頑張ってきた”つもりだったけれど、”頑張れる”状態なのは運がよかっただけなのかもしれない。

自分は、両親とも大卒で勉強に対して寛容で、
離婚したのも自分でしっかり考えられる歳まで育っていたからで、
両親共に、伝える方がものすごく不器用なだけでしっかり愛情を持ってくれていた。

”頑張れる”状態になれるのはそれまでの人生で、
・努力の仕方を知るチャンスがあること
・努力をしたら評価される環境にいること
この2つが重なったときだけだ。当たり前の状態じゃないんだ」

そう思うようになり、「子どもの貧困」という問題について学び始めました。本やネットで情報を集めたり、大学で子ども支援の教授の授業を受けたりしました。

そうする中で、子どもの貧困という問題がいかに”日本”にとって重要かということに気づきました。

そして、”いつか”子どもの貧困の根本解決に取り組もう。でも今は力不足だから一度就職し、力をつけてから戻ってこようと考えました。

自分の中でのWill, Can, Mustの重なり

このnoteの前半で大学時代にいろんなことに取り組んできたことを書きました。その中で、他のどの活動よりも難しく、どれよりもやりがいを感じたのが、「NPO法人あっとすくーる」での子どもの支援活動でした。気づいたら自分の中で一番やりたいことになっていきました。

また、自分自身も相対的貧困の当事者であり、大学に進学して海外に行ったりいろんなことに挑戦している姿が、関わる子どもにとって希望になりうることを学習支援の活動を通して実感しました。

そういった経験から自分だからできること、変えられることもあると思うようになりました。

自分の中の、やりたいこと(Will)、できること(Can)、社会に求められていること(Must)が重なり、大学を1年間休学し、本気で子どもの貧困問題に取り組む決断をしました。

休学後の試行錯誤

3年間様々な困難を抱える中高生に関わってきた中で、高校まで貧困状態で育った子に対し、既存の学習支援や居場所支援以外の新しい形の支援が必要だと考えるようになりました。
その子達に不足しているモノを補いつつ、実際に食べていける力をつける必要性を感じました。

「じゃあ、高校生がアルバイトの代わりに、IT企業でエンジニアとして有給のインターンをできるようになれば、お金をもらいながらスキルも身につけれるのではないか。

そのために、パソコンを渡してインターンで雇ってもらえるくらいのスキルとマインドセットを身につけられる機会をつくろう」

これがCLACKの最初のアイデアでした。(高校生のニーズに合わせて多少形は変えているものの、今でもこの形で活動を続けています)


覚悟を決めたきっかけ


自分の中で覚悟ができたのは2018年8月に参加したTOMODACHI-Microsoft iLEAP Social Innovation and Leadership Programに参加したことが非常に大きいです。シアトルで約1ヶ月間、リーダーシップや社会起業について学ぶプログラムでした。

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ここで本気で社会を良くしようと行動している同世代と出会い、まだ何もできていない自分に対し期待してくれる大人と出会い、自分がリーダーとして事業をつくっていく覚悟ができました。

詳しくはこちらのインタビュー記事で書いてもらっています。

覚悟を決めたことで拓けた道

本気になったことで誰と一緒に活動していきたいかが明確になり、一人ずつ仲間を集めていきました。その時にCLACKに関わるようになってくれたのが、副代表の西本や理事の鍋嶋、今も様々な形でCLACKに関わってくれている勝原や村瀬らでした。

そのメンバーと一緒にクラウドファンディングを実施し、無事180万円を集めることができ、CLACKは第一歩を踏み出しました。

そこから大変なことも多かったですが2年間、無我夢中で走ってきて現在に至っています。

以上が、平井がCLACKを立ち上げるまでの経緯です。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

CLACKという団体に少しでも興味を持ってくれたら、まずはぜひ話を聞きにきてください。ご応募お待ちしております!

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