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更新日:2024/10/04
ルワンダで障害のある人たちの自立をお手伝い。
ムリンディ/ジャパン・ワンラブ・プロジェクト基本情報
ワンラブはルワンダで97年から義足を作りながら、障害者の支援をしています。義足作りプロジェクトと活動資金を生み出すためのゲストハウス運営のお手伝いをしてくださる人を募集しています。
活動テーマ | |
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勤務場所 | |
待遇 |
無料 お手伝いは基本的にはボランティアとしてのご参加となります。 |
勤務期間/頻度 |
勤務頻度:週4~5回 基本的には月~金のお手伝いとなります。 |
注目ポイント |
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募集対象 |
•危機管理が出来る人。 |
スキル | |
特徴 | |
応募方法 |
こちらのページから応募してください。 |
募集詳細
義足プロジェクトと、活動資金を生み出すためのゲストハウス運営のお手伝いをしてくださる人、大募集!
【障害者自立のためのいろいろなアイディアを一緒に考えましょう。】ルワンダでは西洋の植民地政策によって、国民が分断され、対立が起こりました。ルワンダの大虐殺の時代は30年以上に渡って続きましたが、現在はその時に作られた「民族」を廃止し、ルワンダ人として国づくりに励んでいます。そして私たちも共に国の復興を目指して活動を続けてきました。
しかし虐殺時に障害を負った人、様々な原因で障害を負った人たちは、なかなか社会に参加することが出来ません。
私たちはそんな人たちに義足を無償で提供しながら、自立ができるよう支援をしています。
皆さまと一緒に、障害者が必要としている支援を考えていきたいです。
あなたの新しいアイディアを私たちに分けてください。
応募にあたって、特別な技術は必要ありません。
責任感とやる気のある人を募集しています。
義肢製作活動に関わる事務的な仕事のお手伝いも含め、ボランティア/インターンをを募集しています。
ご自身のパソコンやタブレットを持ってこられる人を希望します。
【障害者支援活動を支えるためには収入が必要です。】
義足作りと並行して、首都キガリ市でゲストハウスを運営。そこで得た収益が障害者支援活動に還元されます。
そのゲストハウスの運営や広報のお手伝いをして下さい。
ゲストハウスのデコレーションをしたり、サービスを向上させるために、あなたのアイディアを分けてください。
そしてSNSに投稿したり、マーケティングが好きな人、一緒にお客さんを呼ぶための作戦を練りましょう。
【国際協力という大義名分を越えて。】
国際協力という難しい考えは必要ありません。自分が出来ることをやってください。
その中で一緒に考えていきましょう。
【渡航までの流れ。】
①まずはご連絡下さい。
②こちらから詳細など含め、お返事を差し上げます。
③日程・期間など調整の上、航空券やビザ(ビザはルワンダの空港でも取得可能ですが、なるべく在京ルワンダ大使館での取得をお勧めします)の手配をお願いします。
④その他必要なもののご準備(海外旅行保険・予防接種など―任意)。
⑤あとは飛行機でルワンダまでひとっ飛び。
*渡航やルワンダ滞在にあたり、ご不明な点は可能な限りお答えしますので、遠慮なくご相談ください。
【ルワンダ滞在にあたり。】
滞在中は私たちが運営するゲストハウスをご利用いただきます。共同のキッチンがあるので自炊をお願いします。
日本人運営なので、万一の時のサポートも充実しているので、安心して滞在できます。
【お断り。】
•渡航費や滞在中にかかる基本的な生活費、医療費などは自身のご負担になります。
•ルワンダの法律を順守していただき、万一法に触れた場合の責任は負いかねます。
•活動を共に行うスタッフや回りの人たちの風紀を乱すような言動をした場合、ボランティア期間中であっても帰国を勧告する場合があります。
体験談・雰囲気
特徴 |
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団体情報
代表者 |
ルダシングワ真美 |
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設立年 |
1996年 |
法人格 |
任意団体 |
ムリンディ/ジャパン・ワンラブ・プロジェクトの団体活動理念
ルワンダは59年から始まった大虐殺のために、国民同士の信頼が失われてしまいました。
過去に起こった出来事から学び、信頼を取り戻し、憎しみを捨て、愛し合えるようなルワンダを一緒に作ることを目的としながら、障害者支援を進めます。
ムリンディ/ジャパン・ワンラブ・プロジェクトの団体活動内容
ルワンダにはさまざまな原因で障害を負った人たちがいます。彼らは自立し、社会に参加することを望んでいますが、障害のために阻まれていることも多いです。
ワンラブはそんな彼らの自立を促すために、以下のことを行っています。
- 義肢・装具・杖・車いすなどの無償製作と配布。
- ⇒ワンラブのメイン事業。今までに延べ10,000人以上の障害者に、義肢・装具・杖・車いすなどを無償で提供してきました。義足作りなくしてワンラブはありません。
- 義肢装具配布のための巡回診療。
- ⇒地方に住む障害者は首都にある義肢製作所まで出てくることも難儀するため(交通費を持ち合わせていないなどの理由から)、行政とコンビを組みながら地方の村や町を訪ね、障害者のデータを取り、義足の型取り、杖の配布などを行います。
- 障害者の雇用促進。
- ⇒障害のために就職の面接を受けても断られたり、仕事に就けないことも多いです。彼らの雇用を少しでも増やすため、障害のあるスタッフを雇うことを心がけています。
- 社会に復帰するための職業訓練。
- ⇒技術があれば、それだけ就職や仕事を見つける機会が増えます。障害者が自立するためには、技術を身に付けることは欠かせません。そしてワンラブを未来につなげていくために、義肢装具士の育成には力を注いできました。今までに10人が日本で義肢製作の研修を受けました。現在ワンラブで働いているスタッフ、独立して自分の義肢製作所を構えた人、結婚して家庭を守っている女性などがいます。
- パラスポーツの促進。
- ⇒障害を負い、自分の身の回りのことが出来なくなったと精神的にコンプレックスを持つ人も少なからずいます。でも出来ることはたくさんあります。その可能性を見つけ出すためのスポーツをしています。
- 2000年には当団体が国際パラリンピック委員会に働きかけ、ルワンダ初のパラリンピック出場を成し遂げました。
- アビリンピック大会への参加。
- ⇒アビリンピックはおよそ4年に一度開かれる障害者の技能を競い合う大会で、2007年の静岡大会を皮切りに、4度のアビリンピック大会に参加しました。義足製作、洋裁、絵画、刺繍、マッサージの競技に選手を参加させることが出来ました。
- ゲストハウスの運営。
- ⇒障害者支援を続けるためには資金が必要です。そのために義肢製作所と一緒にゲストハウスの運営を行っています。また今後レストランの運営も検討中です。
ワンラブは首都キガリ市に義肢製作所を設け、そこを拠点に義肢装具士の育成や義足製作を中心に障害者支援を行っています。
取り組む社会課題:『自立支援』
「自立支援」の問題が発生する原因や抱える課題
【ルワンダの歴史。】
もともとルワンダには民族の違いはありませんでした。王様のもと、牛を飼う人、畑を耕す人、焼き物を作る人たちが平和に暮らしていました。
しかし1900年代に西洋に植民地にされたことにより、国民を分断、対立させる構図が作られました。国民を3つの民族に分け、優劣をつける政策が取られたのです。そのため国民同士の信頼がなくなり、優越感を持ったり、相手をうらやんだり、憎しみ合うような感情が生まれてしまいました。
その結果が59年から始まった民族対立によるルワンダ大虐殺です。94年に起こった大虐殺ではわずか3か月の間に100万人以上の人が殺され、たくさんの人が鉈や斧で手足を切り落とされるなどの障害を負いました。
【国造り。】
幸い94年7月に大虐殺は終了し、新しく生まれ変わったルワンダは、対立・虐殺の原因となった民族名が書かれていた身分証明書を廃止し、民族をなくしました。「ルワンダ人」として国を作っていくことを決めたのです。
政府と国民が一丸となって、国の復興に力を注いできました。
そしてワンラブも96年にルワンダ政府からNGOと認定され、国造りに参加してきました。
【届かない声。】
虐殺後、目覚ましい復興を遂げるルワンダにおいて障害者の立場や生活は少しずつ改善されてきています。
しかしまだ不十分なことも多く、彼らの声は十分に届いていません。
「自立支援」の問題の解決策
【出会い。】
この活動は出会いから始まりました。代表と副代表は1989年ケニアで出会いました。ルワンダの大虐殺から逃れてケニアで生活をしていた、足に障害のあるルワンダ国籍の男性ガテラ・ルダシングワ・エマニュエルは、日本人のルダシングワ真美にアフリカの良いところ、そして闇の部分を教えてくれました。
お互いに惹かれ合い、ルワンダの大虐殺が終わったら、被害に遭った人たちを支えたいと願い、NGOを設立しました。そしてルダシングワ真美は自ら義肢装具が作れるよう、横浜にある義肢製作所に弟子入りし、義肢装具士の国家資格を取りました。
そしてガテラは94年の大虐殺終了後、すぐにルワンダに戻り、団体の設立に動き回りました。
【歩み。】
最初は街の中心から少し離れた、レストランだった場所を借り受け、小さな義肢製作所を開きました。しかし場所は狭く、未舗装の急な坂道に位置していたため、足に障害のある人たちはアクセスしづらく、政府に他の場所を提供してもらえないかと1年かけて交渉し、1ヘクタール以上ある土地を譲り受けました。
その場所は何もない荒れ地だったので開拓していく必要がありました。そして資金もままならなかったので建物を建てるためのレンガも自分たちで手作りし、ワンラブランドと呼ばれる施設を築き上げました。
そこには義肢製作所の他に、活動資金を生み出すためのレストランとゲストハウスを併設しました。
後にこの場所と地域はは、気候変動による大雨のため、土地の中を流れる川が氾濫し、5度も洪水の被害を受けることになりました。そしてその状況が危険であると判断した政府により、建物を強制撤去され、移転を強いられました。
目の前で自分たちが作った建物を壊され、精神的にも非常につらい時期でしたが、たくさんの人たちの応援の下、再建を目指すことを決意しました。
そして現在は新しい場所に建物を建て、義肢製作所とゲストハウスの運営を進めています。(レストランも運営を検討中。)
【障害者の自立を目指して。】
障害者の声が行政に届かないことも多かったため、彼らの生活は不便な部分も多かったことから、当団体が政府に働きかけ、国会議員の中に障害者枠を一席作るよう提案したところ、可決されました。これにより、障害者の声が届きやすくなりました。
また公共の施設などでは、障害者のための設備が整っていなかったので、例えば車いすのスロープを設置するなどバリアフリーを提案してきました。
しかし障害そのものがなくなるわけではなく、障害者が仕事に就き、社会に参加することがまだ難しい状態です。
手足を失った人たちは行動範囲も狭くなり、人との出会いも減ってしまうこともあります。
障害者がもっと社会に出て活躍するためには義足が必要です。
義足を履いて、外に出て、行動範囲を広げ、人との交流を深めることによって、彼らの生活を大きく変えることが出来ます。そしてさまざまなチャンスを得ることが出来ます。
活動実績
ルワンダでNGOとして承認。
1996年
ガテラ・エマニュエル・ルダシングワとルダシングワ真美がルワンダでNGO設立。
ルワンダの法務省よりNGOとして承認されました。
義肢製作所オープン。
1997年02月
キガリ市に義肢製作所をオープン。義足作りのスタート。
障害者の日。
1999年12月
ルワンダで初めて「障害者の日」の式典を催しました。スタジアムに障害者が集結し、コンサートや寸劇が行われました。この「障害者の日」の式典は現在も続いています。
初めてのパラリンピック出場。
2000年10月
当団体が国際パラリンピック委員会に働きかけ、ルワンダを初めてのパラリンピック出場に導きました。
シドニーパラリンピックに、足に障害のある男性が水泳の競技に出場しました。
巡回診療スタート。
2002年
地方に住む障害者を訪ねて義足を作る巡回診療がスタート。
義肢装具士と共に、車に材料や道具・配布する杖を乗せて地方を訪ねる試みです。多い時には200人以上の人たちが訪れます。
日本でトレーニング。
2004年
神奈川県の海外研修員受け入れ制度の支援を受け、義肢装具士を派遣。その後毎年10人の研修員を送りました。
愛・地球博参加。
2004年
愛知県で行われた「愛・地球博」に参加。瀬戸会場のブースで6ヶ月間展示をしました。
隣の国ブルンジでも。
2007年09月
ブルンジ政府の支援を受け、首都ブジュンブラに義肢製作所を開き、義肢製作を行う。約10年間活動を続けました。現在は治安の悪化から活動はしていません。
アビリンピック出場!
2007年11月
静岡で開催されたアビリンピック大会(障害者の技能を競い合う大会)に初出場。足に障害のある女性が刺繍の競技に参加しました。
その後、韓国ソウル大会(義肢製作・絵画・洋裁)、フランスボルドー大会(義肢製作)、フランスメッス大会(マッサージ)の競技に選手を出場させました。次回はフィンランドで行われる予定です。
政府からの強制撤去!
2020年02月
1996年に政府から提供された土地に義肢製作所の建築をし、活動を続けてきましたが、気候変動による洪水の被害を5度受け、その地域の住民全てが被害拡大を防ぐために強制退去させられました。
自分たちでレンガを作って建てた建てた義肢製作所・レストラン・ゲストハウスも、ショベルカーにより強制撤去され、移転を強いられました。
再オープン!
2022年05月11日
再建のための資金集めをし、義肢製作所とゲストハウス・レストランを伴う建物を建設。
5月についに再オープンを果たしました。