ゆめ・まち・ねっとの団体基本情報
団体名 |
ゆめ・まち・ねっと |
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法人格 |
NPO法人 |
HPのURL | http://yumemachinet.web.fc2.com/ |
代表者 |
渡部 達也 |
設立年 |
2004年 |
ゆめ・まち・ねっとの財政情報
財政概要 |
◯2018年度: |
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直近年度の財政規模 |
1000万円以上5000万円未満 |
※財政規模1000万円以上5000万円未満であるこの団体は、activoのデータベースでは10286団体中、上位7660団体に入っています。やや規模の大きい団体です。
ゆめ・まち・ねっとの組織情報
(常勤)職員数 |
2名 |
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ゆめ・まち・ねっとの詳細な情報
法人番号 |
9080105003163 |
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会計基準 |
NPO法人会計基準 |
監査の実施 |
監事監査 |
ゆめ・まち・ねっとの法人活動理念
この法人は、人がやさしいまちづくりを推進するために、わくわくどきどきするような出会いを創り出し、そこからみんなの夢がつながっていくような居場所を少しずつ少しずつ育んでいくことを目的とする。
ゆめ・まち・ねっとの法人活動内容
■長期計画のない市民活動
2004年に開始した地方都市でのささやかな子ども・若者の居場所づくり。思うように進まなかったり、躓き転んだりの中で、子ども・若者と数々の印象的な出会いが。そんな出会いのたびに、できることを臨機応変にやってきた。自慢は長期計画がないこと。
■公務員から市民活動者に
2004年、代表は16年余勤めた静岡県庁を中途退職。「NPO法人ゆめ・まち・ねっと」を設立。行政ではできない地域づくりに取り組むためだった。基本的に行政は多くの望み、あるいは大きな要望を施策化する。しかし、地域には少ないけれど、小さいけれど、大切な要望があると感じるようになった。そんな要望に手を差し伸べようと、市民活動者に転身。
■冒険遊び場たごっこパーク
手始めに取り組んだのは、子どもたちが自由に遊べる環境の提供。代表が県児童相談所ケースワーカーや県立富士山こどもの国スタッフをしていたこと、代表の妻でもある事務局長が看護師として重度心身障害児施設などに勤務したこと、何より自分たちが子育て真っ最中だったことが影響。
「たごっこパーク」は、公園と川を舞台に、遊ぶ場所がない、遊ぶ仲間がいない、そんな子どもたちに、自由に生き生きと遊べる環境を返すために開いている。4メートルもある土手から豪快に川に飛び込む子どもたち。焚き火で餅や芋を焼き、ドラム缶風呂に入る。木登りをし、のこぎりやかなづちで廃材工作をする。雨天中止もなく、雨の日ならではの泥遊びに夢中になる。
「たごっこパーク」には運営上の特徴がある。子どもの生活圏での開催、参加費無料、親の申込み不要、参加年齢制限なしで、障碍の有無や登校・不登校も問わない。流しソーメン大会や光る泥団子づくり選手権といったプログラムはなく、いつ来て、いつ帰ってもよく、遊ぶのも遊ばないのも自由。これは後述する「おもしろ荘」も同じ。
このような場を提供することで、家庭や学校に居場所を見出せない子どもたちとの出会いにつながった。人里離れた有料野外教育施設ではないので、生活困窮家庭の子どもが遊びに来られる場所にもなった。保護者による事前の申込みや親子参加が条件のイベントではないので、不適切な養育家庭の子どもにも次々と出会った。
ある日、小学生のAくんがつぶやいた。「うちの母ちゃん、夜中に酒臭い匂いで帰ってきて、起こされて、外へタバコを買いに行かされんだよね…」。当初は、参加費収入で活動継続資金を得るため、有料野外キャンプなどを頻繁にやろうと考えていたが、子どものつぶやきがどんな家庭の子どもでも遊びに来られる参加費無料の活動を中心に据えるというの方向性を導いた。
決められたプログラムがないので、学校や公共施設が好む一律・一斉・集団が苦手な子どもにも居心地のいい場所になった。大人の求める進度で課題に取り組むことが困難な子どもも常連になった。遊び方は自由なので、独創的な遊びを一人黙々とやる子どもや大人の許容範囲を超えてハチャメチャに遊ぶ子どもが集う場になった。
創作が得意な小学生のBくんは「だけど学校の図工とか苦手なんです。決まった材料を組み立てるだけなので」と教えてくれた。
AくんやBくんとの出会いから10数年。Aくんは中学卒業後、学力と経済的な問題とで高校に進学できず、工場の三交代勤務で働く。Bくんは有名大学大学院に進学し、研究活動に勤しむ。対象的な道を歩む二人だが、今も「たごっこパーク」に顔を出していることが大きな励みである。
■子どものたまり場おもしろ荘
週末の「たごっこパーク」のほかに、放課後、自由に過ごせる居場所も提供してきた。活動開始当初は自宅を「たごっこはうす」と名付け、子どもたちに開放。現在は、旧東海道沿いにある空き店舗を「子どものたまり場おもしろ荘」として運営。
答えを丸写しして宿題を片付ける小学生。駄菓子を食べながらマンガを読む中学生。スマホを片手におしゃべりをする高校生。障碍者雇用枠での就労後、仕事の疲れを癒していく若者。
「あぁ、マジ、○○、ウザい」。中学生のCちゃんが来るなり、教員の名を呼び捨てにして話し出す。「まったくさ、『Cちゃんだけが頼りだから』とか言って、自分がクラス、まとめられないだけじゃん」。でも、しっかり者のCちゃんを頼りたくなる教員の気持ちもわかる。教員の期待に反し、Cちゃんは「私、そういうの絶対無理だし。わかるでしょ?」と同意を求める。それもまたわかる。そして、本当はクラスの現状を何とかできないかと考えているだろうことも想像する。Cちゃんは今、教育系大学で障碍児と関わるために特別支援教育を学ぶ。
「D子はほんと、よく笑うよねぇ」。スタッフが軽い調子で中学生のDちゃんに声を掛けた。その途端、Dちゃんの顔から笑顔が消え、「笑うのはここだけ。学校では笑ったことないから、私」と言った。クラス全員から無視され続け、一年以上笑っていないと言う。いつも見せる明るさからは、そんな渦中にいることが想像できなかった。「まぁ、E美だけが私としゃべってくれるんだけどね」。そう言われて同級生のEちゃんが「へへっ」と照れ笑いを浮かべた。時々、タバコ臭い匂いを纏って遊びに来る子。ある日、Dちゃんは、「これ、おもしろ荘に寄付。売り上げは活動資金にしてね」と自宅にあった大小のスーパーボール50個でくじを作ってきた。
■個別学舎寺子屋
「オレにベンキョー、教えてくんねぇ」。10数年前、中学生のFくんにそう頼まれたのが「寺子屋」の始まりだった。
「寺子屋」では、一人ひとりの求めに応じた学習の場を提供する。成績の低い子には先ず、「学校」という評価装置の中で失った自己肯定感の回復を願い、学力のある子には、「能力を誰かを幸せにするために使おう。それが自分の幸せにもなる」と伝える。不登校の子どもとは教科学習はせず、関心のある新聞記事を解説するだけの日やボードゲームを楽しむだけの日もある。
Fくんは「たごっこパーク」に小学生から参加。中学生になると学校に足が向かず、眉毛を剃り、教師には反抗的に。それでも遊び場には欠かさず来た。
「中学は行く気しねぇけど、高校には行きたいんだ」と言うFくんの学力試験結果は、惨憺たるものだった。「F、こりゃあ、高校は無理だぞ(笑)」と伝えるも、本人はやる気満々。
週2~3日、素人の稚拙な教え方だったろうけど、学力はぐんぐん伸びた。おそらく、遊び場で共に過ごした信頼関係があり、素直に教えを聞けたからだろう。テスト前など、我が家に宿泊し、徹夜で勉強することもあった。意欲的になり、朝から登校し始め、公立高校に合格。高校は休まず登校し、入学後に始めた飲食店でのアルバイトは卒業時まで続いた。そうしたことが評価されたのか就職もすぐに決まった。
学びの場の提供など考えてもいなかった僕らに、Fくんはこうした場の可能性を示してくれた。以後、毎年、数人の中高生と「寺子屋」での時間を共にすることになった。
■こども食堂
昨年、長崎で女子高生が同級生を猟奇的に殺害し、北海道では女子高生が母と祖母を殺害した。静岡県内では、若い母親による乳児殺害遺棄事件が相次いだ。誤解を恐れずに言えば「加害者」という名の「被害者」。不適切な養育や教育を受け続けた挙句の不幸な結末。
小学生のときから「たごっこパーク」に来ていたGちゃんは、中学生になると不登校になった。「私、朝から毎日暇だから使って」。4年前、「おもしろ荘」の開設準備を連日、手伝ってくれた。不登校のまま卒業を迎え、進学はできず、今は飲食店でのアルバイトに励む。
同じく小学生のときに出会ったHちゃんも中学では不登校に。定時制高校に進学したものの、妊娠により中退。その相手とは別れたが、出産し、シングルマザーとなる道を選んだ。
こうした若者がいつか「加害者」にならないことを願いつつ、つながり続けられないか。それが「こども食堂」となった。一人ぼっちでの食事「孤食」をしている子ども、会話溢れる温かな食卓に恵まれていない子どもなどと出会うための仕掛けづくり。
■気遣い人となる仲間を求め
生ききづらさを抱えた子どもたちと歩む道筋に羅針盤を与えてくれた一人に児童精神科医の田中康雄先生がいる。田中先生は「気遣う人の存在と、関わりのタイミングが『偶然に、あるいは奇跡的に』重なり合うと、驚くような状況が生じるものである。」と述べる。(軽度発達障害―繋がりあって生きる 金剛出版 2008年)
だとすれば、「気遣い人」が地域のそこかしこにいたら、生きづらさを抱えた子ども・若者は、偶然に、奇跡的に救われるのではなく、日常的に救われるということになる。
ここ何年かで、講演をする機会が増えた。その範囲も全国各地に広がっている。講演では「気遣い人」となる仲間との出会いを願い、これまでに子ども・若者から学んだことを伝えている。
「生きづらさ」は取り巻く人間関係により、重くも軽くもなること。子ども・若者の苦手、欠点、短所を指摘し、その改善を求め続ることは、前述の事件の「加害者」のような孤立無援な状況を生み出すこと。子ども・若者と共に生きることを重ねながら、一人ひとりに必ずある惚れ惚れするような持ち味に光を当てたい。
「ネットワーク」は、子どもを寄って集って指導したり、支援したりする。しかし、所詮は「網の目」。こぼれ落ちる子どもも少なくない。出会った子ども・若者に寄り添い続けたい。何気ない日常を重ねるその先に希望があると信じて。
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ゆめ・まち・ねっとの概要(住所静岡県富士市国久保1丁目7番15号 電話番号・TEL 0545-52-3175)や代表者(渡部 達也氏)、活動理念、活動内容、従業員数、ジャンル(地域活性化・まちづくり, 中間支援)、関連する社会問題 (不登校, 発達障害, シングルマザー, 食)、ゆめ・まち・ねっとが募集しているボランティアやインターン、求人などを調べることができます。関連する企業や団体、ボランティアや求人募集も満載!
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