株式会社ユードー
代表である、南雲は、ADHDの当事者です。
小学生のころは、周囲に合わせることが精一杯で、吃音が重く、発言ができず、まどろっこしく伝えたり、運動も不器用で苦労をしました。特に、国語の授業では、発言や朗読ができずにおり、「教科書を読まなくてはいけない」前日から具合が悪くなり、国語の時間には、自分が読む段落など、スムーズに言葉が出るように、準備をしすぎて過敏になり、中学生の頃には重度な十二指腸潰瘍になりました。発言も、スムーズに発話できて、伝えられる単語で文章をつなげるために、遠回しでよくわからない表現になったり、伝えたいことが、飛んでしまったり、周りくどくなる。言葉が足りないために、大きな誤解を生むことになりました。また、上から目線のような生意気な伝え方になってしまって、同じ年齢の周囲から、軋轢を生むことになりました。
衝動的に何かの行動をしたり、周囲を意識せずに突き抜けてしまう自分を自覚しすぎて、そのような自分は良くないとして、意見を言わずに自分を抑える良い子になりすぎたことと、貧困・過程環境の問題もあり、進学ができる状況ではなくなりました。
それでも、幸いなことに、いじめの経験が少なく、なんとか友達との関係が繋げられたのは、「ゲーム」の存在でした。また、工作において、発想やアイデアを先生から褒められたことと、幼少期から興味のあることには夢中になれる性格で、プログラムや、アマチュア無線、海外短波放送、などの趣味に没頭できたこともありました。
大人になると、高卒でコンプレックスを持っていた私でも、拾ってくださる企業や先輩に恵まれたことで、作曲家やゲームのクリエイターとなり、大ヒットゲームを立ち上げました。30歳に近づき、大学進学をして起業家にもなりました。仕事が楽しく子供の頃の困りごとを忘れました。
一方で、理想の仕事を手に入れたのに、異なる分野に進出し、習慣や価値観に合わせすぎるストレス、大きな失敗も経験しました。広汎性・アスペルガー症候群などの診断が定まりませんでしたが、ADHDでした。取り巻く社会が広がりすぎて、人を深読みして神経質になることが、重い「適応障害」となり、本来の直感やハイパーとは真逆でした。診察方針は、「ADHDを取り戻す」でした。
医師や臨床心理士から心理を学び、新しい「自分の心の対話」が芽生えました。ADHDは、扱い方次第では能力であると気づき、人との関わりは最小限で、合理的であれば良いと振り切りました。結果、環境が一変してずいぶん気楽になりました。
2018年、後藤医師の指導方針に沿って、沖縄の才能あふれる子供たちを育てる施設として、ドーユーラボを開設することにいたしました。見えることを常に『どういうこと』と、疑問に思い、引っかかってしまうことから、ドーユーラボと命名しました。
以上のような、子供の頃からの苦しい経験と、応援をしてくれてなんとかここまで来れたという、当事者としての思いもあり、ドーユーラボを開設いたしました。
ドーユーラボの方針は、得意なことで自尊心を高め、類する仲間との環境をつくり、結果、周囲に最低限合わせる余裕が生まれてくる、としています。
自分の操縦が難しい子供達が、得意なことや才能を発見するたびに、私たち職員は嬉しく思い、働きがいになっています。ドーユーラボの卒業生が、世界で活躍をしたり、一緒に働いて研究をしたりすることを目標にしています。
子供たちが集まれる才能を伸ばす場づくりを、沖縄につづいて、大阪も拠点として、じっくりと広げてまいります。
団体名 |
株式会社ユードー |
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法人格 |
株式会社・有限会社・合同会社 |
HPのURL | https://osaka.doyou.love/ |
代表者 |
南雲玲生 |
設立年 |
2003年 |
FacebookページのURL | https://www.facebook.com/doyou.lab |