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更新日:2025/06/03
2025年夏季気仙沼・南三陸・石巻自助共助体験伝承プログラム参加者募集🌟
三陸復興観光コンシェルジェセンター
基本情報
災害大国・日本でライフラインが絶たれる災害時に、どう生き抜くのか?を自然の中で実際に体験しながら学ぶことができます。次の災害に備えて、ゼロから何かを生み出す体験を!【8月2回、9月3回】限定募集です!
活動テーマ | |
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活動場所 | |
必要経費 |
行き: ご自宅〜陸前小泉駅、帰り: 石巻駅〜ご自宅までの交通費は各自にてご負担ください。 |
活動日 |
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注目ポイント |
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募集対象 |
◎応募条件 一緒に活動する人の年齢層について
🌸夏季自助共助体験伝承プログラム 参加者募集中🌸 このプログラムでは、 南三陸・石巻の語り部ガイドと 気仙沼小泉ふるさと村#南三陸海の見える命の森 ボランティア の二つを組み合わせています! 「些細なきっかけでプログラムに参加したけど、普段の生活じゃ得られないような学びや全国に友達ができて、参加してよかった」 という声もたくさん聞こえます。特に高校生、大学生の 夏休みに一人でも友達とでもサークル仲間とでも参加するみなさんの出逢いと学びの場になること間違いなしです。ぜひこのチャンスに宮城県に訪れてみてください🫱🏻🫲🏼 皆様の参加のお申し込みお待ちしております💪💪 ht#防災 #減災 #備災 #災害 #震災 #311 #東日本大震災 #震災復興 #東日本大震災を忘れない #震災を忘れない #災害対策 #備え #教育 #防災教育 #避難訓練 #ボランティア #ボランティア活動 #復興 #復興支援 #学生 #大学生 #学生ボランティア |
募集人数 |
100名 |
特徴 | |
応募方法 |
こちらのページから応募してください。 |
募集詳細
🏃ライフラインが断たれたら?
災害経験者に学ぶ体験型アウトドアプログラム 🏃
災害大国の日本。最近でも全国で地震が相次いで発生しています。そんな今は、災害後であるとともに、災害前でもあります。次の災害に備えられるのは次の災害が起こる前、まさに今なのです!
本プログラムでは、実際に東日本大震災を経験した方から「ライフラインの電気・ガス・水が断たれた時にどう生き抜くのか?」を教えてもらいます。テキストでの勉強ではなく、自然の中で体験しながら学ぶことができます!電気も水道もガスも引かれていない森の中で被災した体験を聞きながら、サバイバル術を学びませんか。いつ来てもおかしくない災害に備えて、ゼロから何かを生み出すことを一緒に体験しましょう!
【内容】
#避難所訓練
災害時、電気や水道、ガスなど普段の生活には欠かせないライフラインが止まってしまいます。
ところが生き抜くためには熱源、水源などが必要です…実は自分たちでも生み出すことができるのです!
・木を拾い、自分で見つけた木で火を起こしてみよう!
・井戸から水を汲んでみよう!
・自分たちで起こした火と汲んできた水を使ってアウトドア料理!
などの体験ができるかも🌟
#地元の若者とトークができるかも!
次の災害で命を守るために、今私たちが備えられることは何か?
実際に東日本大震災を経験した、現地の若い世代の方も交えてのワークショップです
※内容は変更の可能性あり
体験談・雰囲気
このボランティアの体験談
東京 大学生 男性参加者振り返り 🟠南三陸
旧戸倉中学校語り部
①自分の目で視て一番に印象に残ったのは、
来て毎回最初に目につくのは、災害当時から止まったままの状態で放置されていた一つの時計でした。その時計は、まるでその瞬間の時間を封じ込めているかのように、針を動かすことなく静かにそこに佇んでいました。その姿は、単に時間が止まっているという物理的な現象を超えて、災害という非日常が現実の時間の流れを断ち切ったことを象徴しているように感じました。この光景は、災害の凄まじさやその衝撃の大きさ、そして何気ない日常が突然終わりを迎えた瞬間を、私の心に強く印象付けるものでした。目の前にあるその時計は、被害の深刻さとともに「時間が止まった」という比喩的な意味でも、忘れがたい記憶として残りました。
②自分の耳で聴いて一番に印象に残ったのは、
私の耳に最も印象的に響いた言葉は、「自分の身の回りの地形を常に把握しておくことの大切さ」についての説明でした。災害がいつ起きるかは誰にも予測できませんが、だからこそ、日頃から自分が住んでいる地域や、よく訪れる場所、通勤・通学路などの地形的特徴や危険箇所をしっかり理解しておくことが、いざという時の安全確保に繋がるという内容でした。地形を知ることは単なる知識の一つではなく、命を守るための行動の第一歩であり、日常生活の中でできる防災対策の一つであるという話は、非常に現実的で心に響きました。「知る」という行為が、実際の行動に繋がり、結果として自分や家族の命を守ることになるという点に深く共感しました。
③自分の心で一番に印象に残ったのは
各振り返って綴って下さい。
私の心に最も強く残ったのは、「どれだけ備えていても、どれほど日常が平和に見えても、大災害は私たちの思いとは関係なく、突然やってくるものだ」という現実でした。災害は、時間も場所も選ばず、ある日突然私たちの日常を奪い去る可能性があるという事実を改めて突きつけられました。その恐ろしさや無力感を前にして、人はつい「自分だけは大丈夫だろう」と思いがちですが、実際には誰しもがその当事者になりうるということを深く実感しました。その中で、「備えることの大切さ」「正しい知識を持っておくことの必要性」を再認識し、災害に対して他人事のように考えるのではなく、自分自身の問題として常に意識を持ち続けることが重要であると、強く感じました。この気づきは、今後の生活の中でも常に心に留めておきたい大切なことだと思います。
🔵石巻市
🔯旧大川小学校語り部ガイド
大川伝承の会佐藤敏郎さん
①自分の目で視て一番に印象に残ったのは、
実際に旧大川小学校の跡地を訪れて、私の目に最も強く焼き付いたのは、津波から避難できたかもしれないルートの存在でした。実際に南三陸に行くまで私は、大川小学校がある場所は、地形的に避難が非常に困難な場所だったのではないかと漠然と思っていました。しかし、現地を自分の足で歩いてみて驚いたのは、ほんのわずかな距離の先に、安全が確保された高台が存在していたという事実です。整備された避難経路がそこにあり、子どもたちや先生たちが、ほんの数分早く決断していれば助かったかもしれない、と思うと胸が詰まる思いがしました。あれほど多くの命が失われたにもかかわらず、すぐ近くに命を守る道があったことが、信じがたく、同時に深い悲しみと疑問を感じさせました。なぜ誰もその方向へ避難するという判断を下せなかったのか。目の前の風景は、自然の脅威と人間の判断力の限界について、強烈に訴えかけてくるようでした。
②自分の耳で聴いて一番に印象に残ったのは、
やはり語り部としてに話してくださっている鈴木典行さんの、個人的な体験の話が、毎回いくたびに私の心に深く残りました。鈴木さんは、東日本大震災でご自身の大切な娘さんを失われた方であり、その体験を語る姿には言葉を失うほどの重みがありました。特に印象的だったのは、亡くなった娘さんが土に埋められていた場所を発見し、そこからメガネだけを持ち帰ったというエピソードです。その場面を想像するだけで胸が締めつけられ、現実のあまりの残酷さに涙をこらえるのに精一杯でした。一人の父親として、どれほどの悲しみと無力感に打ちひしがれたのかを想像するだけで、言葉にならない思いがこみ上げてきました。その体験を、私たちに伝えてくださった鈴木さんの姿から、命の尊さとは何か、そして失われた命の重さについて、深く考えさせられました。
③自分の心で一番に印象に残ったのは
各振り返って綴って下さい。
私の心に最も深く残ったのは、鈴木さんがご自身の家族を震災で失いながらも、それでも語り部として笑顔で人々に語り続けているという、その姿勢と生き様でした。14年という年月が過ぎたとはいえ、その間ずっとご自身の中に深い喪失感や悲しみがあるのは明白です。それでもなお、鈴木さんはその辛い過去を乗り越え、訪れる人たちに教訓と希望を伝えようと、力強く語っておられました。その語り口には、一切の怒りや恨みといった感情を感じさせることなく、むしろ聞く人の心に温かく、そして確かに届く力がありました。人間がここまで他者のために尽くせるのかと、驚きと感動を覚えました。そしてその姿は、私自身がこれからどう生きるべきかを深く考えさせてくれるものでした。どれほどの苦しみがあっても、人は誰かの力になれるし、未来へ語り継ぐことができる。その強さと優しさに、心から敬意を抱かずにはいられませんでした。
④この場所で語り部は1番に何を伝えたかったのか
1番伝えたかったことを自分事に出来たのか
鈴木典行さんが、私たちに一番伝えたかったことは、「命を守る判断の大切さ」だったと強く感じました。津波が迫る中で、すぐ近くにあった安全な場所へなぜ避難できなかったのか。あの時、ほんのわずかな判断の違いが70名以上の尊い命を奪ってしまったという事実を、鈴木さんは繰り返し、静かに、しかし重く語っていました。その語りの中には、怒りや責任追及ではなく、「あの日の教訓を決して無駄にしてほしくない」という強い願いが込められていました。
そして私は、その「命を守る判断の重要性」というメッセージを、自分自身のこととしてしっかりと受け止めることができました。災害はいつどこで起きるか分かりません。だからこそ、日頃から「どこに逃げるか」「どう動くか」を考えておくことが、自分や大切な人の命を守る第一歩になるのだと実感しました。鈴木さんの語る言葉は、過去の悲劇を伝えるだけでなく、未来を生きる私たちに向けられた「行動への呼びかけ」でした。それを心に刻み、これからの日常の中で常に「自分だったらどう判断するか」を意識していきたいと思います。
🔵ミート門脇日和幼稚園慰霊碑
① 自分の目で見て一番印象に残ったこと
今回でこの場所を訪れるのは二度目でしたが、改めて自分の目で現地を見て、一番強く印象に残ったのは、門脇小学校と日和幼稚園の距離の近さでした。本当にすぐ近くにあり、その距離感に驚きました。歩いて戻れるような距離なのに、なぜ子どもたちは戻れなかったのかという疑問が、胸の奥に残り続けました。その場にいたら、同じ判断をしてしまっていたかもしれないという不安や悔しさ、そして、その「わずかな距離」が大きな命の分かれ目になってしまった現実を、ただ見つめることしかできませんでした。
② 自分の耳で聞いて一番印象に残ったこと
語り部の佐藤さんが話してくださった内容の中で、何よりも心に残ったのは、「繰り返された過ち」によって小さな命が失われたという言葉でした。一度の判断ミスではなく、いくつもの小さな選択ミスや迷いの積み重ねが、大きな悲劇へとつながってしまったという話を聞いて、胸が苦しくなりました。もし、どこか一つでも選択が違っていれば――そう思うと、どうしようもない悔しさと同時に、自分だったらどうしただろう、と何度も自問しました。判断一つが命を左右する、その重みを耳で、そして心で受け止めました。
③ 自分の心で一番印象に残ったこと
佐藤さんが「娘の入学式や卒業式をもっと見たかった」と話された瞬間、自分の心の中に強い感情が湧き上がってきました。私たちが当たり前のように経験してきた学校行事――入学式、卒業式、修学旅行、運動会――そういった日々の出来事が、佐藤さんにとっては娘さんと一緒に過ごせなかった、手の届かない夢だったのです。それがどれほど苦しく、どれほど悔しかったのかを思うと、何とも言えない気持ちになりました。私自身、彼女の言葉をきっかけに、行くつもりのなかった成人式に出席しました。「この日を娘に見せたかった」という彼女の言葉が、自分の心を動かしました。当たり前のように来ると思っていた節目の行事が、どれほど尊く、特別なものであるかを、ようやく気づかされたのです。
④ 語り部の方がこの場所で一番伝えたかったこと、それを自分のこととして受け止められたか
語り部の佐藤さんがこの場所で一番伝えたかったことは、「当たり前の毎日がどれほど尊く、かけがえのないものかを知ってほしい」ということだったと思います。災害は、ある日突然、私たちからその日常を奪っていきます。家族と食卓を囲む時間、何気ない会話、毎日通る通学路――それらがすべて、ある日を境に「思い出」や「後悔」に変わってしまう可能性があるのです。自分自身、この話を「他人事」ではなく、「自分の未来に起こり得ること」として受け止めることができました。二度目の訪問だったからこそ、言葉の一つひとつがより深く心に響きました。そして、改めて、家族や友人、今ここにいるすべての人たちとの時間を大切にしようと強く思いました。今日家に帰ったら、照れくさいかもしれないけれど、親に「ありがとう」と伝えようと思います。この感謝の気持ちを、これからも忘れずに生きていきたいです。
🔵みやぎ東日本大震災津波伝承館
解説員ガイド
① 自分の目で見て一番印象に残ったこと
シアタールームで観た映像は、何度見ても「目を疑うような現実」そのものでした。あの日、東日本大震災で何が起きたのか、映像として映し出される津波の勢いや、町が一瞬で破壊されていく様子を目の当たりにし、胸が締め付けられるような思いになりました。ニュースや本で知っていたつもりでも、映像で見ることで、まるでその場にいるかのような臨場感と恐怖を感じ、改めてその被害の大きさと恐ろしさを強く実感しました。ただの「災害映像」ではなく、「現実に起きたこと」として自分の中に刻み込まれました。
② 自分の耳で聞いて一番印象に残ったこと
説明の中で、東日本大震災の地震の規模が観測史上4番目であると聞いて、改めて驚きました。あの巨大な地震よりもさらに強い地震が、過去に3度もあったという事実、背筋が凍るような恐怖を感じました。東日本大震災は私にとって「最大級の災害」というイメージがあったので、それ以上の地震が人類の歴史上起きていると知ったことは、自分の中の「安全に対する感覚」が大きく揺らぐきっかけになりました。地震という自然の力の前では、人間がいかに無力であるかを改めて感じました。
③ 自分の心で一番印象に残ったこと
心に最も強く残ったのは、このような大地震が、同じような地域で何度も繰り返されているという事実でした。たまたま起きたのではなく、歴史の中で何度も災害が襲っている――そのことを知ったとき、これは過去の話ではなく、明日また自分の住む場所で起きてもおかしくないことだと実感しました。そう思ったとき、ただ「怖い」と感じるだけではなく、「自分自身が備えなければいけない」という意識が芽生えました。家族と避難場所を確認したり、防災グッズを見直したりするなど、小さなことでもできることを始めなければ、という気持ちになりました。心のどこかで「自分は大丈夫だろう」と思っていた自分に、警鐘を鳴らすような時間でした。
④ この場所で解説員の方が一番伝えたかったこと、それを自分のこととして受け止められたか
解説員の方が最も伝えたかったのは、「災害は他人事ではなく、自分ごととして受け止めなければならない」ということだと思います。地震はいつ、どこで、誰に起こるか分からない。だからこそ、「もし明日、自分の住む地域で同じことが起きたら」という想像力を持つことが大切なのだと感じました。そして、周囲の環境に関心を持ち、災害への備えを常に意識して生活することが、私たちにできる最も身近な防災だと教えてくれたように思います。私は今回の訪問を通して、そのメッセージをしっかりと自分のこととして受け止めることができました。これからは、家族や友人とも防災について話す時間を持ち、「もしも」に備える準備を少しずつでも進めていきたいと思います。
🔵 車窓からの景色、車内での会話からの1日の中で最も印象に残った景色は
バスの車窓から見えた、一面に広がる変わった地が特に印象に残っています。そこにはかつて住宅が立ち並び、普通の生活があったと聞いて、胸が締めつけられるような思いになりました。今では公園などに変わっていますが、この変貌が、津波がすべてを奪っていった事実を物語っているようでした。その風景を眺めながら、「ここに家族で暮らしていた人がいたんだな」「あの日までは、普通の日常があったんだ」と思いを巡らせました。美しい景色で、心に深く刻まれる風景でした。
🔴 車窓からの景色、車内での会話からの1日の中で最も印象に残った会話は
車内で語り部の方が、ただ避けられなかっただけでなく、情報が錯綜する中で、住民たちはみんな必死に判断していたとおっしゃっていました。災害が起きたとき、正しい判断をすることがどれほど難しいか、そしてその判断が命に直結してしまうことがあるという現実に、改めて気づかされました。テレビの報道だけでは分からなかった、被災地の「一人ひとりの物語」がそこにあることを知り、災害という出来事をより人間的に、自分のこととして考えるきっかけになりました。
🔯自助共助プログラム総括として
1)本日のスタディプログラムの中で一番心に残った語り部は誰ですか、その語り部を選んだ理由はなんですが
やはり、佐藤さんです。訪れるのは今回で2回目だったのですが、2度目の訪問でも佐藤さんの語りは、深く心に響きました。何よりも印象に残っているのは、佐藤さんがご自身の娘さんの話をされていた時のことです。震災で命を落とした娘さんが、もし生きていれば今の私と同い年でした。
もし自分が宮城で生まれ育っていたとしたら、自分がその娘さんの立場になっていたかもしれない。そして、今の私と同じ年齢まで成長することなく、あの日で人生が終わっていたかもしれない。そう考えると、他人事とは思えず、胸が締めつけられるような気持ちになりました。
さらに、佐藤さんの話し方や表情からは、母親としての深い愛情と、決して癒えることのない喪失感が伝わってきました。自分がトイレで寝てる時も優しくフォローしてくれました。その姿を見ていると、まるで自分の母と重なるような感覚もあり、聞いているうちに、自分の母親が自分をどれだけ大切に思い、守ろうとしてくれているのか、改めて考えさせられました。だからこそ、佐藤さんの言葉の一つ一つに共感し、強く心を打たれたのだと思います。
あの震災が、一人の親子の未来をどれほど深く変えてしまったのか、そしてその悲しみを乗り越えてなお語り継ごうとする佐藤さんの姿勢に、私は大きな尊敬の念を抱きました。この体験を通して、命の尊さや日常のありがたさを、もっと真剣に考えるようになりました。そして、今を生きる自分ができることを一つ一つ大切にしていきたいと、強く感じました。
5)プログラムの中で一番心に残ったプログラムは何ですか、そのプログラムを選んだ理由はなんですが
6)プログラムの中で一番心に残ったエピソードはなんですか、そのエピソードを選んだ理由はなんですか
海森で囲炉裏の上に吊るされた自在鉤を使わせてもらったことです。今の自分の暮らしではまず目にすることのない道具で、使い方を教えてもらいながら、昔の人々がこの道具一つで火加減を調整し、家族との時間を大切にしながら食事をしていたことを知りました。
便利なものに囲まれた今の生活とはまったく違う、手間がかかっても心が通っていた昔の暮らしが、そこにはありました。その空間に身を置いたことで、物を大切に使い、自然と共に生きる姿勢に触れ、心が温かくなったのを覚えています。「失われてしまったもの」だけでなく、「守り続けたいもの」があるという気づきを得られた、大切な体験でした。
7)此の世知辛い世の中
当たり前など何一つ無い中で
此のプログラムにおける
有難い事とはなんだったですか
このプログラムの中で最も「有難い」と感じたのは、「当たり前でない日常」に触れさせてもらったことです。震災や災害があると、どうしても「失われた命」「壊れた街」に目が向きがちですが、今回の学びでは、それだけではなく、「どんな暮らしがここにあったのか」「人々はどんな思いで日々を過ごしていたのか」といった、生きた記憶に触れることができました。
自在鉤ひとつとっても、そこには家族の会話やつながり、温もりがあり、それを知ることで、「今、自分が帰る家があること」「家族と囲む食卓があること」が、どれほど貴重でありがたいことかに気づかされました。このプログラムは、「過去を知ること」で「今のありがたさ」に気づく時間だったと思います。
🌠最後に此の3日間参加者してメッセージ
今回で南三陸を訪れるのは、自分にとって10回目になります。何度訪れても、この町の空気や景色、人のあたたかさ、そして震災の重みには慣れることはありません。むしろ、回を重ねるごとに、自分の中にある責任感や受け止め方が少しずつ深まってきているように感じています。
このプログラムの中で私たちは、ただ学ぶだけでなく、「誰かの命を守る力を持った人になる」という新たな立場を与えられました。それは大きな役目かもしれませんが、自分の経験や気づきを、自分の言葉で誰かに伝えていくこと――それが、次の命を守る一歩につながると信じています。
そして何より、この場をつくってくださった隊長に、心から感謝しています。いつも厳しく、時には心が折れそうになることもありましたが、それでも見捨てることなく、自分に向き合い続けてくれたこと、本当に感謝しています。あの厳しさがなければ、ここまで自分の意識が変わることはなかったと思います。あの時間も言葉も、今では全部、自分にとって宝物です。
これからも「防災」や「共助」の大切さを、自分の暮らしの中にしっかりと根づかせ、少しでも多くの人に伝えられるように歩んでいきたいと思います。そしてまた、南三陸に戻ってきます。初心を忘れず、何度でも。
特徴 | |
---|---|
雰囲気 | |
関連大学 | |
男女比 |
男性:30%、女性:70% |
団体情報
代表者 |
阿部寛行 |
---|---|
設立年 |
2011年 |
法人格 |
任意団体 |
三陸復興観光コンシェルジェセンターの団体活動理念
東日本大震災で被災した宮城県本吉郡南三陸町の町民有志による『海の見える命の森』は2016年にスタートしました。この森は我々が本震災を通じて『学んだ事』『後世に伝えねばならない事』『祈りたい事』『残したい風景』を伝える場所として整備を開始しました。
本震災で生きることの根底には自然の支えがある事を学びました。南三陸町は分水嶺を境に山と海に囲まれた町で1次産業を基幹とする地域です。そしてこの森の立地は、人間はこの自然の中でのどの様に生きていくべきか?を考える絶好の地理環境にあります。
こうした場所に震災を伝え・考える場所を創生する利点は下記の三点に集約されます。
第一に志津川湾と山岳地・市街地の全体を見渡すことができる台地上の展望は、震災と自然を伝承・学習するのに最適の地理環境である事、小・中学生の"総合学習"や、高校生・大学生の"地域社会との連携教育"や"地域に根ざした学習活動"が可能な『総合的な学習の場』である事です。(伝承の場創出)
第二に台地上の展望に桜や紅葉などの植物を計画的に植樹育成することで、自然に人が訪れたくなる絶景の創出が可能である事です。(絶景観光資源)
第三に上記の二点を踏まえて本震災において亡くなられた方々の御霊に祈りを捧げるのにふさわしい場所になり得る事です。
以上の点から我々はこの森を有志とボランティアとの手作りで整備しています。最終的にこの場所を桜と海の絶景として整備することができれば、世代を超えて南三陸に風景という資産と被災伝承の想いを残すことができると考えています。
本震災から我々が得た学びと気づきは後世への大切な資産であり、その伝承は当世代の重要な責務です。その意味合いから、この森に人々が集い継続的な活動に必要不可欠な小屋を是非建設したいと考えています。皆様が賛同され資金を捻出し目的を達成すべくお願いいたします。
•沢山の被災者を受けいれ東日本大震災の1000年に一度の教えを風化させないために継続的な語り部バス運行や自然との共生できるまちづくりとして真の復興に尽力している南三陸ホテル観洋と南三陸町民有志で構成された実行委員会です。
三陸復興観光コンシェルジェセンターの団体活動内容
志津川湾の中央に位置する展望に優れた森を整備し、新たな慰霊と伝承の場所を創生する『海の見える命の森創り』は2016年にスタートしました。本企画は震災伝承と慰霊の場所そのものを『桜と海の絶景』として計画的に創生することにより、震災伝承の補助をし、絶景が呼び込む交流人口の増加などを狙い企画いたしました。2018年度は3年目に入り、2017年度設立された南三陸ホテル観洋と南三陸町民有志で構成された海の見える命の森実行委員会が組織されました。観光客の方や、子ども達の環境学習の場としても気軽に訪れられる海の見える森とし、散策路のコースを整備拡充には尽力できました。更に今年度はたくさんの人が集まるために必要不可欠な拠点施設、自然にやさしいバイオトイレの設置、地元素材に拘った天然小屋等の拠点施設の整備をし利便性を高めつつも観光エコの推進も視野にいれて活動を展開します。
活動実績
宮城県南三陸町に町民有志により海の見える命の森創りがスタート
2016年04月
■2016年4月~2017年3月
●海の見える命の森整備ボランティアプログラム開始年間1200名参加
●3.11桜植樹活動、森散策路整備活動、桜植樹用地伐採活動
■2017年4月~2018年3月
●海の見える命の森整備ボランティアプログラム二年目年間1800名程度参加
●3.11桜植樹活動、森散策路整備活動、桜植樹用地伐採活動
●命の森バイオトイレ設置作業準備
■2018年4月~2019年3月
●海の見える命の森整備ボランティアプログラム三年目年間1400名程度参加
●3.11桜植樹活動、森散策路整備活動、桜植樹用地伐採活動
●命の森バイオトイレ設置、手作り小屋設置
●ミャンマーから東日本大震災慰霊の大仏プロジェクト発足
■2019年4月~2020年3月
●海の見える命の森整備ボランティアプログラム四年目年間1600名程度参加
●3.11桜植樹活動、森散策路整備活動、桜植樹用地伐採活動
●減災体験伝承プログラム用の炊事場にセルフビルド掘立小屋ボランティア500名と2年間かけて
設置※全て完成は2021年7月
●減災体験伝承プログラム用の炊事場にボランティアとピザ窯創り設置
●減災体験伝承プログラム用の炊事場にボランティアと竈創り設置
●海の見える命の森手作り小屋準備開始※クラウドファンディング準備開始
●ミャンマーから東日本大震災慰霊の為に大仏設置、建立■2021年4月~2021年8月
●海の見える命の森整備ボランティアプログラム5年目現時点で500名程度参加進行中
●減災体験伝承プログラム用の炊事場にセルフビルド掘立小屋ボランティア500名と2年間かけて
設置※全て完成は2021年7月
●自助共助体験伝承プログラムしてピザ窯、竈を使用して避難所訓練熱源プログラム開始
●自助共助体験伝承プログラムとしてセルフビルド井戸創り開始
●自助共助体験伝承プログラムとして海の見える命の森小屋創りボランティア80名と設置
※全て完成は2023年3月