- ホーム
- 宮城のボランティア募集一覧
- 宮城での震災・災害系ボランティア募集一覧
- 【9.14-16】宮城で震災学習&ボランティア!自助共助プログラム参加者募集
- 募集終了
- 国内/単発ボランティア
更新日:2024/09/10
【9.14-16】宮城で震災学習&ボランティア!自助共助プログラム参加者募集
三陸復興観光コンシェルジェセンターこの募集の受入団体「三陸復興観光コンシェルジェセンター」をフォローして、
新しい募集が始まった時にメールを受け取ってみませんか?
基本情報
災害大国・日本でライフラインが絶たれる災害時に、どう生き抜くのか?を自然の中で実際に体験しながら学ぶことができます。次の災害に備えて、ゼロから何かを生み出す体験を!【9.14-16】限定募集です!
活動テーマ | |
---|---|
活動場所 | |
必要経費 |
行き: ご自宅〜仙台駅、帰り: 石巻駅〜ご自宅までの交通費、震災遺構伝承施設入館料、3日目のお昼ご飯は各自ご負担ください。 |
注目ポイント |
|
募集対象 |
あ |
募集人数 |
50名 |
スキル | |
特徴 |
募集詳細
🏃ライフラインが断たれたら?
災害経験者に学ぶ体験型アウトドアプログラム 🏃
自然大国の日本。最近でも全国で地震が相次いで発生しています。そんな今は、災害後であるとともに、災害前でもあります。次の災害に備えられるのは次の災害が起こる前、まさに今なのです!
本プログラムでは、実際に東日本大震災を経験した方から「ライフラインの電気・ガス・水が断たれた時にどう生き抜くのか?」を教えてもらいます。テキストでの勉強ではなく、自然の中で体験しながら学ぶことができます!電気も水道もガスも引かれていない森の中で被災した体験を聞きながら、サバイバル術を学びませんか。いつ来てもおかしくない災害に備えて、ゼロから何かを生み出すことを一緒に体験しましょう!
【内容】
#避難所訓練
災害時、電気や水道、ガスなど普段の生活には欠かせないライフラインが止まってしまいます。
ところが生き抜くためには熱源、水源などが必要です…実は自分たちでも生み出すことができるのです!
・木を拾い、自分で見つけた木で火を起こしてみよう!
・井戸から水を汲んでみよう!
・自分たちで起こした火と汲んできた水を使ってアウトドア料理!
などの体験ができるかも🌟
#地元の若者とトークができるかも!
次の災害で命を守るために、今私たちが備えられることは何か?
実際に東日本大震災を経験した、現地の若い世代の方も交えてのワークショップです
※内容は変更の可能性あり
体験談・雰囲気
このボランティアの体験談
夏休みの自助共助プログラム3日目振り返り
*自分がプログラムの中で一番に得た知識とは
竹の本数が全校生徒の人数を表しているため、本数が大事である。また、13年経ってこのような形になってきている、つまり人々それぞれの想いが共同活動を通しようやく繋がってきているということ。
*自分がプログラムの中で一番に得た知恵とは
竹を研磨して一様な緑にするためには、あれだけの手作業が必要であり、また声掛けをし合って協力することで一つのことが達成出来るということ。
✳この日の大川竹制作ワークショップから何を一番に学びましたか
復興、大川小学校をはじまりの場にする、という人々の強い想い。
✳この日の大川竹制作ワークショップで自分事として活動出来たことは
積極的に声掛けをし、主体的に目の前の作業に取り組んだこと、また、人々の想いを考えながら作業出来たこと
✳この日の大川竹制作ワークショップで帰ってから何を取り組み、
次の災害にどう備えるのか
未来に向けて伝承し続けようと意識をもつこと。大切な人、守りたい人を守れるように災害をシミュレーションする。
🔴南三陸旧戸倉中学校
波三陸語り部
①自分の目で視て一番に印象に残ったのは、
津波が押し寄せた浸水高22.6mの表示と校庭。避難場所であったこの校庭も全て波にのまれたと理解した。
②自分の耳で聴いて一番に印象に残ったのは、
避難してきた車が全て海の方向を向いていたこと。理由として、L1の津波だと想定していた者たちが、津波を興味本位でみてみたいと考えたことがあったが、その結果全方向から襲われたということ。
③自分の心で一番に印象に残ったのは
心臓麻痺で校庭で倒れた生徒を教師2名が救助に行き、津波におそわれ1名が亡くなったことから、災害など自分の命が脅かされる状況では利他精神や正義感を捨てて自分がまず助かるにはどうすれば良いか、そして自分にとって大切な人が生き延びていると信じなければならないジレンマを抱えるということ。
④この場所で語り部は1番に何を伝えたかったのか
1番伝えたかったことを自分事に出来たのか
大川小学校は、悲しみと辛さだけではなく、子どもたちの楽しい思い出もつまっている場所で、震災後、未来の災害に備える啓発をするはじまりの希望の場所である。自然災害に対してこれから備える必要性を伝える場所。
🔵石巻市
🔯旧大川小学校
語り部ガイド大川伝承の会
①自分の目で視て一番に印象に残ったのは、
・三角地帯と裏山の距離の近さ(もっと遠そうな想像があった)→一瞬の方角、方向(方針)の過ちが命取りになる。
・裏山の高さ→この方角に逃げれば助かっていたはず
②自分の耳で聴いて一番に印象に残ったのは、
・泥土の中から、子どもをかき分けて探し、泥や土を払って、なぜここにいるのかと叫んだというお話。
③自分の心で一番に印象に残ったのは
大川がはじまりの場所にする、ということ。
④この場所で語り部は1番に何を伝えたかったのか
1番伝えたかったことを自分事に出来たのか
有事の際の一瞬の状況判断が、多くの命を奪うことになる。そのため、日頃の備えが大切であるということ。
🔵石巻市震災遺構門脇小学校語り部ガイド
①自分の目で視て一番に印象に残ったのは、
津波火災で黒く焼けた校舎の写真、また焼けていなかった西校舎2Fとの違い。
②自分の耳で聴いて一番に印象に残ったのは、
教壇を利用して、山と校舎の敷地を橋かけたという瞬時の知恵。
③自分の心で一番に印象に残ったのは
国が管理している建物か、そうでないかではどうしても差が生まれてしまう。守る、守らないの違いが、亀裂を生みうることもあると思う。
④この場所で語り部は1番に何を伝えたかったのか
1番伝えたかったことを自分事に出来たのか
瞬時の判断ひとつで状況は180°変わってしまうため、大人の備えはより重要であるということ。
🔵ミート門脇日和幼稚園慰霊碑
日和幼稚園遺族有志の会
①自分の目で視て一番に印象に残ったのは、
日和幼稚園、門脇小学校と津波到達のエリアが、全て密接していたこと。→助かろうと思えば助かった命、ということを痛切に感じた。
②自分の耳で聴いて一番に印象に残ったのは、
命の犠牲がともなう上での教訓はいらないということ。本当にそうであると感じる。
③自分の心で一番に印象に残ったのは
普段生きている今日は、生きたくても生きられなかった人々が望んだ1日であるということ。だからこそ心の備えをして適切な判断が出来る大人にならなければならないということ。
④この場所で語り部は1番に何を伝えたかったのか
心の備えをしっかりすること。実際に想定してどのような備えをするか、しっかり考えることが出来た。
🔵みやぎ東日本大震災津波伝承館
解説員ガイド
①自分の目で視て一番に印象に残ったのは、
迅速に避難した割合は57%で、4割がすぐには避難していなかったこと、また宮城県では津波の被害で亡くなった方が多かった、そして東日本大震災は世界で4番目に大きい大地震であるというデータ。
②自分の耳で聴いて一番に印象に残ったのは、
7〜8年目に、海底から車が上がり、亡くなった方のご遺体がみつかる。行方不明者の人数から、まだ震災は終わったわけではなく、まして心の復興は終わることはないということ。
③自分の心で一番に印象に残ったのは
各振り返って綴って下さい。
過去の大津波を知らない家族が多く、核家族であればあるほど知恵の伝承は少ない。核家族化が進む現代では、便利な技術、環境が増えた一方で、命を守る術や生きていく上で大切なことを忘れていることを実感した。
④この場所で解説員は1番に何を伝えたかったのか
1番伝えたかったことを自分事に出来たのか
津波の被害の大きさ、東日本大震災の当時の状況や影響
🔵車窓からの景色、車内での会話からの1日の中で最も印象に残った景色は
北上川。想像していたよりも遥かに広かった上に、北上町は過去の小さな津波すべて押し寄せていたと知ったため。
🔴車窓からの景色、車内での会話からの1日の中で最も印象に残った会話は
北上川は58km遡上した→河川の近くはとても危ない。特に、日本は河川が多い国で、防災で対策しても自然災害を完全に防ぐことは出来ない。
🔴車窓からの景色の1日の中で最も印象に残った景色を
一番誰に伝えたいですか、その理由は
北上川の広大さと、かかっている大きな橋。これらが目の前に大きな龍のように襲ってきたらどれほど怖いだろうかと思う。
🔴1日の中で最も印象に残った会話を
一番誰に伝えたいですか、その理由は
避難場所を10ヶ所決めておき、有事の際になるべく高台へ避難するということ。生死のぎりぎりに居てもおかしくない状況で、一瞬の判断が命とりになる。十分だと思わず、徹底しなければならない。
❇他にあれば番号を付け足して記載してください。
4)プログラムの中で一番心に残った語り部は誰ですか、その語り部を選んだ理由はなんですが
大川伝承の会
心をつかまれたから。色々なことが身に沁みた。
5)プログラムの中で一番心に残ったプログラムは何ですか、そのプログラムを選んだ理由はなんですが
海の見える命の森ボランティアでの活動。初めましてのメンバーと、雨降る寒いなかで木のテーブルを囲んで釜で焼いたピザを食べることは、非日常でありかつだからこそ災害時の避難の理解が深まった。
6)プログラムの中で一番心に残ったエピソードはなんですか、そのエピソードを選んだ理由はなんですが
避難三原則(率先たる避難者たれ、どんな状況下でも最善を尽くせ、想定に囚われるな)を知ったこと。根本だと思う。
7)東日本大震災スタディプログラムと聞かれたら何と答えますか
自然災害に対する備えについて、命の重みと日常のありがたみについて復興を通して学ぶことが出来る貴重な機会。価値観を変えてくれるはず。
8)此の世知辛い世の中
当たり前など何一つ無い中で
此のプログラムにおける
有難い事とはなんだったですか
当たり前が当たり前でない、継続するものではないとまず気付かせてもらえたこと。災害時の訓練について、日常から離れた濃い体験が出来たこと。現地に訪れなければ分からない、震災当時の状況と復興に向かう東北を知れたこと。命の重みも感じ、今日が生きたくても生きられなかった人が願った1日であると痛切に感じた。
特徴 | |
---|---|
雰囲気 | |
男女比 |
男性:40%、女性:60% |
団体情報
代表者 |
阿部寛行 |
---|---|
設立年 |
2011年 |
法人格 |
任意団体 |
三陸復興観光コンシェルジェセンターの団体活動理念
東日本大震災で被災した宮城県本吉郡南三陸町の町民有志による『海の見える命の森』は2016年にスタートしました。この森は我々が本震災を通じて『学んだ事』『後世に伝えねばならない事』『祈りたい事』『残したい風景』を伝える場所として整備を開始しました。
本震災で生きることの根底には自然の支えがある事を学びました。南三陸町は分水嶺を境に山と海に囲まれた町で1次産業を基幹とする地域です。そしてこの森の立地は、人間はこの自然の中でのどの様に生きていくべきか?を考える絶好の地理環境にあります。
こうした場所に震災を伝え・考える場所を創生する利点は下記の三点に集約されます。
第一に志津川湾と山岳地・市街地の全体を見渡すことができる台地上の展望は、震災と自然を伝承・学習するのに最適の地理環境である事、小・中学生の"総合学習"や、高校生・大学生の"地域社会との連携教育"や"地域に根ざした学習活動"が可能な『総合的な学習の場』である事です。(伝承の場創出)
第二に台地上の展望に桜や紅葉などの植物を計画的に植樹育成することで、自然に人が訪れたくなる絶景の創出が可能である事です。(絶景観光資源)
第三に上記の二点を踏まえて本震災において亡くなられた方々の御霊に祈りを捧げるのにふさわしい場所になり得る事です。
以上の点から我々はこの森を有志とボランティアとの手作りで整備しています。最終的にこの場所を桜と海の絶景として整備することができれば、世代を超えて南三陸に風景という資産と被災伝承の想いを残すことができると考えています。
本震災から我々が得た学びと気づきは後世への大切な資産であり、その伝承は当世代の重要な責務です。その意味合いから、この森に人々が集い継続的な活動に必要不可欠な小屋を是非建設したいと考えています。皆様が賛同され資金を捻出し目的を達成すべくお願いいたします。
•沢山の被災者を受けいれ東日本大震災の1000年に一度の教えを風化させないために継続的な語り部バス運行や自然との共生できるまちづくりとして真の復興に尽力している南三陸ホテル観洋と南三陸町民有志で構成された実行委員会です。
三陸復興観光コンシェルジェセンターの団体活動内容
志津川湾の中央に位置する展望に優れた森を整備し、新たな慰霊と伝承の場所を創生する『海の見える命の森創り』は2016年にスタートしました。本企画は震災伝承と慰霊の場所そのものを『桜と海の絶景』として計画的に創生することにより、震災伝承の補助をし、絶景が呼び込む交流人口の増加などを狙い企画いたしました。2018年度は3年目に入り、2017年度設立された南三陸ホテル観洋と南三陸町民有志で構成された海の見える命の森実行委員会が組織されました。観光客の方や、子ども達の環境学習の場としても気軽に訪れられる海の見える森とし、散策路のコースを整備拡充には尽力できました。更に今年度はたくさんの人が集まるために必要不可欠な拠点施設、自然にやさしいバイオトイレの設置、地元素材に拘った天然小屋等の拠点施設の整備をし利便性を高めつつも観光エコの推進も視野にいれて活動を展開します。
活動実績
宮城県南三陸町に町民有志により海の見える命の森創りがスタート
2016年04月
■2016年4月~2017年3月
●海の見える命の森整備ボランティアプログラム開始年間1200名参加
●3.11桜植樹活動、森散策路整備活動、桜植樹用地伐採活動
■2017年4月~2018年3月
●海の見える命の森整備ボランティアプログラム二年目年間1800名程度参加
●3.11桜植樹活動、森散策路整備活動、桜植樹用地伐採活動
●命の森バイオトイレ設置作業準備
■2018年4月~2019年3月
●海の見える命の森整備ボランティアプログラム三年目年間1400名程度参加
●3.11桜植樹活動、森散策路整備活動、桜植樹用地伐採活動
●命の森バイオトイレ設置、手作り小屋設置
●ミャンマーから東日本大震災慰霊の大仏プロジェクト発足
■2019年4月~2020年3月
●海の見える命の森整備ボランティアプログラム四年目年間1600名程度参加
●3.11桜植樹活動、森散策路整備活動、桜植樹用地伐採活動
●減災体験伝承プログラム用の炊事場にセルフビルド掘立小屋ボランティア500名と2年間かけて
設置※全て完成は2021年7月
●減災体験伝承プログラム用の炊事場にボランティアとピザ窯創り設置
●減災体験伝承プログラム用の炊事場にボランティアと竈創り設置
●海の見える命の森手作り小屋準備開始※クラウドファンディング準備開始
●ミャンマーから東日本大震災慰霊の為に大仏設置、建立■2021年4月~2021年8月
●海の見える命の森整備ボランティアプログラム5年目現時点で500名程度参加進行中
●減災体験伝承プログラム用の炊事場にセルフビルド掘立小屋ボランティア500名と2年間かけて
設置※全て完成は2021年7月
●自助共助体験伝承プログラムしてピザ窯、竈を使用して避難所訓練熱源プログラム開始
●自助共助体験伝承プログラムとしてセルフビルド井戸創り開始
●自助共助体験伝承プログラムとして海の見える命の森小屋創りボランティア80名と設置
※全て完成は2023年3月