誰もが自分の5%をシェアすることで、社会貢献が当たり前の世界へ
理念
- 貧困と機会差別をなくす
- 人々が優しくなれる機会を創造する
- 誰もが自分の5%を社会にシェアすることで世界を変える
- ボランティアクルーが活動を通じてより良い人生をおくる
なぜ活動を始めたのか
「最初は単なる従業員だけの為に」
私の経営する株式会社シセイでは仕事の時間の5%を社会貢献すると掲げて約9年前から様々な社会貢献活動を行ってきました。
最初は、東日本大震災の募金集め、毎週2時間の町の清掃など。
その次に行ったのが利益の一部を使って、
困った人を支援するプロジェクトでした。
そこで出会ったのが「児童養護施設の子どもたち」でした。
施設の職員さんのお話をお聞きすると、施設に入ってくる子どもたちの多くは虐待を受けて心も体もズタズタに傷ついている子どもたちがほとんどとのことでした。
そんな子どもたちを遊園地に招待して一緒に遊ぶことになりました。
私は虐待経験を受けた子どもたちを楽しませる自信がなく、当日まで不安しかありませんでした。
当日始めてあった小学校低学年の子どもたちは、髪の毛が円形脱毛症のように抜けていたり、歯が全て虫歯であったり、ふとした拍子に服がめくれ上がったときに無数の痣が付いていたりしていました。
しかし、こどもたちはとっても元気で明るくて、1日中私の手を放してくれませんでした。
子どもたちとの出会いは運命だった
私は20代の時に父を亡くしました、父は自ら命を絶ったのです。
その時に思ったのは、なぜ人は生まれてくるのだろう。
人は自ら死を選ばなければならないほど苦しい思いをしてまで、
なぜ人は生まれてきたのか、父の人生はなんの意味があったのか。
ということばかりでした。
私は人生を生きる意味を見失って、半ば自暴自棄になりそうになりましたが救ってくれたのは友人でした。
その後、起業を経て従業員さんを雇用することになってもなぜ人は生まれてきて、なんのために生きるのかという答えは見つかりませんでした。
そんな時に子どもたちと出会い、虐待と言う辛い経験をしながらも懸命に生きている姿をみて衝撃を受け、自分の生まれてきた意味を知ることができました。
父の死を経て、命の大切さに気付かせてもらい、子どもたちと出会い、逆境の中でもたくましく生きる強さを感じて、私が生まれてきて、人生の意味は、
このような子どもたちが幸せになるためのお手伝いをすることだと。
そして同時に、
私のような人間が子どもたちの手を握ることで考え方や人生が変わったように、
周りの多くの人たちが、施設の子どもたちとふれあう機会をつくることができたら、「世界中に優しい人があふれるのではないか」と考えるようになりました。
それからは、このことばかりを考えるようになりました。
「世界を優しく変えることができるかもしれない」
そればかりが毎日頭のなかから離れないのです。
それから、小さな会社の大冒険がはじまりました。
ボランティアさんが集まるだろうか?
不安はありましたが、「アクティボ」さんでボランティア募集の広告を出してから動き出しました。
とっても沢山の仲間が集まったのです。
世界を変えるための一歩がスタートしました。
それからみらいこども財団を設立して約6年間で、大阪・兵庫・京都から現在は東京・神奈川県の児童養護施設さん28施設に毎月300名のボランティアクルーが40回以上訪問して、1500名以上の子どもたちを笑顔にすることできました。
児童養護施設の子どもたちは様々な経験をしながらも、とってもたくましく生きています。
毎回、施設訪問では小学生とは鬼ごっこやかくれんぼ、男の事はサッカーやキャッチボール女の子とは縄跳び、幼児さんとは簡単な工作遊びや読み聞かせをしたりして楽しく遊んでいます。
ボランティアをしているというよりは、毎回一緒に遊ぶことで子どもたちから笑顔や勇気のプレゼントをもらっています。
どちらがボランティアをしているかわからなくなる時がありますが、
ボランティアというのは一方的に与えるのではなく、
お互いが共に成長することができ、見えないギフトを贈りあっているのだなぁと実感するときが、一番のやりがいを感じるところです。
私たちは1年や2年のボランティアではなく、
子どもたちが施設を卒業するまで、卒業してからも人生を伴走者として一緒に寄り添える団体でありたい、何十年も子どもたちをささえることができるのか、ということを常に問いながら仲間に助けられながら活動を続けています。
世界にある社会課題の多くは、人が今より少しだけ優しくなれたら解決する問題ばかりです。
みらいこども財団は人の価値観を変える
10年後には日本で社会貢献やボランティアが日常に溢れている、当たり前の社会を作ることを目的に、優しい仲間を増やし続けています。

